2020年08月23日「御言葉は立ち上がる」

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御言葉は立ち上がる

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
使徒言行録 24章27節~25章12節

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さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。使徒言行録 24章27節~25章12節

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説教の要約  「御言葉は立ち上がる」使徒言行録24:27~25:12

パウロは、無罪であるにも関わらず、総督フェリクスがユダヤ人に気に入られようとしたばかりに2年間カイサリアに幽閉されました。その間に総督が、ポルキウス・フェストゥスという人物に変わりました(24:27)。

このフェストゥスは、前任者とは違うタイプの政治家であったようです。フェリクスが2年間放置した厄介なパウロとユダヤ人の裁判をカイサリアでの最初の公務として取り扱ったからです(25:6)。

しかし、その判決は前任者フェリクスと同じものになりました。フェストゥスもフェリクス同様、「ユダヤ人に気に入られようとして」裁判を保留しました。

 両者は全く違うタイプの総督で、パウロとの距離感も正反対であったのです。しかし、2人が出した回答は同じでした。両者ともパウロに無罪の判決を下さずに、保留したのです。そして、その理由が、ユダヤ人に気に入られようとした、ということなのです。領内のユダヤ人の支持を得るためです。つまり自分の立場を守るためです。

彼らは、真実を見抜きながら、それに目を背け、自分の有利なように裁きを曲げたのです。

法の番人であるはずの裁判官が、真実の擁護者ではなく、自分の擁護者となっていた、ということなのです。真実ではなくて自分を守る、この共通点で、彼らの裁きは一致したのです。

それでも前任者が2年間法廷を放っておいたのに対し、フェストゥスは、「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」と裁判の場所をエルサレムに差し戻すことを提案しました(9節)。

しかし、これはパウロにとっては決して受け入れてはならないものでした。もともと、2年前に千人隊長リシアが、ユダヤ人の陰謀からローマ帝国の市民権を持つパウロを助けるために、470名の兵士を立てて、エルサレムからカイサリアに護送したのです。パウロは、2年前のその一つ一つの出来事を思いめぐらし、そこに神の導きがあったことを悟っていたはずです。

ですから、もし今フェストゥスの言いなりになってエルサレムに引き返すのであれば、神の導きからも引き返すことになるのです。そこでパウロはローマ帝国の市民権を行使してこの裁判を皇帝に上訴しました(11節)。何度か申し上げてまいりましたように、パウロにとってローマ帝国の市民権はあってもなくても同じようなものでした。彼はキリストゆえに、彼が持っている他の全ては塵芥である、とさえ言ったのです(フィリピ3:8)。実際このカイサリアで監禁された2年間、パウロはローマ帝国の市民権をちらつかせるようなことは一切しませんでした。もしそのようなことをしたのであれば、状況は大きく変わっていたでしょう。

しかし、このフェストゥスの不正にまみれた法廷でキリストの言葉が立ち上がったのです。

神の導きから引き返す誘いを受けた時、2年前エルサレムを脱出する前夜与えられた「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。(23:11)」このキリストの言葉が立ち上がったのです。これが非常に大切です。私たちがどのような状況に置かれているかは問題ではないということだからです。それでも御言葉は立ち上がるのです。

この世の不公平に悩まされようが、罪に苦しめられようが、或いはたとえ死の床にあろうが、御言葉は、御言葉のまま立ち上がり、私たちを導くのです。

 そして、立ち上がった御言葉に従うためには、塵であれ芥であれ、手元にあるのであれば何でも使うのです。この地上で与えられているどのような小さい権利でも用いるのです。キリスト者にとって、この世で与えられている権利は、神の御心に従うためにあるからです。

では、パウロが2年間一歩もローマに進まなかったのは、どうしてでしょうか。それは、御言葉の後に従ったからです。御言葉の先に行くのは結構簡単なのです。自分の都合で好きなだけ先に進めますし、その場合忍耐も祈りも必要ないですから。御言葉の後に続くから、忍耐が必要なのです。御言葉の後に続くから、祈りがなければやっていけないのです。

この2年間はパウロにとって、居ても立っても居られない時間であったはずです。しかし、パウロは自分の都合で先に行こうとはしなかったのです。そうではなくて、神の御心を探り続け、祈り続けたのです。パウロは、御言葉を利用するのではなく、御言葉が立ち上がるまで、忍耐し、祈り続けたのです。それがこの2年間でもあったのです。そして、今その時が来たということなのです。ようやく立ち上がった御言葉と神の導きに従って、御言葉の後に従い、今こそパウロはローマに向かうのです(出エジプト40:34~38も参照してください)。

 しかし、私は皇帝に上訴します、とパウロが上訴したその皇帝は誰だったでしょう。

暴君と悪名の高いあの皇帝ネロです。パウロもペトロもこの暴君に処刑された、と言われています。私は皇帝に上訴します、その皇帝によってパウロは殺されたのです。すなわち、私は皇帝に上訴します、これは、私は殉教しに行きます、という結果に終わったのです。

 この使徒言行録が執筆された時は、パウロが殉教してすでに時が経っていました。その最初期の教会の中で、この使徒言行録は書かれたものであり、それゆえ、使徒言行録は、聖霊によって導かれた彼らの信仰の結晶ともいえましょう。執筆者も読者もパウロの殉教をよく知っていたはずです。

では、暴君ネロに上訴するパウロの姿に、何の陰りも何の暗さも見られないのはどうしてでしょうか。それは、彼らが復活の希望に満ち溢れていたからです。パウロが道半ばで暴君によって殉教した悲しみよりも、彼が今永遠の命に生かされている喜びに目を向けたのです。それでも尚、神の導きを疑わなかったのです。パウロの殉教でさえ、そこに主なる神の導きを見たのです。死を悲しむより、永遠の命を喜んだのです。御言葉が立ち上がるとは、こう言うことではありませんか。そして、現在の教会が取り戻さなければならない信仰はこれです。この世の全ての現実は、御言葉と無関係に与えられていない。たとえ、この時代が、全てこの世の力の法則で動かされているように思えても、或いは、この世の現実が、いかに理想や期待からかけ離れようが、そこに神の導きを微塵も疑わない、それが御言葉が立ち上がる、ということです。御言葉が立ち上がる時、どのような現実も神の恩恵の一つに受け入れることができるのです。御言葉は悲しみを喜びに変えるのです(ヨハネ16:22を参照してください)。

困難だらけの、傷だらけの、小さな生涯であったかもしれない、今までも、そしてこれからも。しかし、そこに御言葉が立ち上がる時、その生きてきた道こそ十字架の主が私を見つけてくださったかけがえのない道であることを疑いえないのです。キリスト者である以上、この私の生涯すべてに感謝しながら最後まで歩むことが許されるのです。

主の御言葉こそが私の命であり、喜びであり、希望です(讃美歌284)。