2023年02月04日「あなたの道を主にまかせよ、信頼せよ」

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あなたの道を主にまかせよ、信頼せよ

日付
説教
新井主一 牧師
聖書
詩編 37編1節~6節

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1節 悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
2節 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
3節 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
4節 主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
5節 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
6節「あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光のように輝かせてくださる。」
詩編 37編1節~6節

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説教の要点「あなたの道を主にまかせよ、信頼せよ」詩編 37:1~6

会員総会の前後のいずれかの主の日は、一度連続講解説教をお休みして、その年に与えられた年間聖句の御言葉に教えられる、というのが通例となっています。本日私たちに与えられました御言葉が、その年間聖句でありまして、私たちは、一年間この御言葉に立って歩みたいと願っています。

この詩編は、まず、「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな(1節)」、と勧告され、そして、「彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。(2節)」、これがその理由として提示されています。これは、悪事を謀る者や、不正を行う者を、野の草に喩えて、その儚さを謳ったもので、簡潔に申し上げれば、悪には持久力がない、ということです。

 しかし、本当にそうでしょうか。むしろ逆であって、悪には、底知れぬ持久力があるように思えてならないのです。実は、聖書もそれを否定していません。「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。(エフェソ5:16)」、この世はいつも悪い時代である、と使徒パウロもはっきりと語っています。詩編が詠まれた時代も、パウロの時代も、そして私たちの時代も、いつでもこの世は、悪い時代なのです。しかし、だからこそ、何時の時代も、この詩編は響くのであります。

続きます「善を行え、この地に住み着き、信仰を糧とせよ(3節)」、このすべての勧告は、この地上での生活の大切さを強調した御言葉です(エレミヤ書29:4~7をご参照ください)。主に信頼する、それは、この地上での生活が軽んじられることではありません。私たちは、天国が約束され、天の神様の支配下にあるのだから、地上のことは無関心でもよい、なんてことは決してないのです。逆に聖書は、そのような浮世離れした立場を強烈に否定します。悪事を謀る者や、不正を行う者が幅を利かせる、まさに、その只中である「この地に住み着き、信仰を糧とせよ」とここでは謳われているのです。 聖書は、決して浮世離れした思想や教養ではなくて、この世の現実に立ち向かう信仰なのです。

そのうえで、私たちの今年度の年間聖句の御言葉が続きます。「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光のように輝かせてくださる。(5、6節)」、ここで大切なのは、「主は」という部分が強調されていることなのです。この節の主役は「主」なのです。私たちの年間聖句は、主なる神が中心にあって、私たちはそのわき役である、このことをここで覚えておきたいのです。成し遂げてくださるのも、計画してくださるのも、主であって、私たちではない、これがここで言われています大切な真理です。

この詩編を裏付ける神の言葉がエレミヤ書にあります。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ書29:11)」

 本日私たちはこの御言葉で礼拝に招かれました。

 今人類が、この世の現実を目の前に抱く未来は、ことごとく、災いの計画になりつつあり、絶望はいくらでも語れるが、希望を語るのが難しい、そう言う時代です。

 最近、終末時計なるものが話題になっています。これは、アメリカの科学雑誌が、「人類最後の日」までの残り時間を象徴的に示しているものです。その終末時計の針は、残り1分30秒を指している、ということで、時間で言えば11時58分30秒であります。ウクライナの侵略や、気候変動が、人類最後の日に接近させる要因を作っているようです。この1分30秒は地球の年齢に換算して何年になるのか、とそれに怯えながら、この世は相変わらず、災いの計画から脱出できません。最新兵器を作り、買い、配置する、これは、災いの計画そのものではありませんか。

しかし、それでも尚、災いの計画しか立てられないこの世に希望を託し、終末時計の秒針と運命を共にするしかない、ここに今の時代の絶望的な姿が示されているのではありませんか。

実は、この「あなたの道を主にまかせよ」、この「まかせよ」という字は、面白い意味がありまして、もともとは「転がす」、「移す」、そう言うニュアンスの言葉です。あなたの道、これはそのまま人生の言い換えです。ですから、ここは、ストレートに言いますと「あなたの人生を主に移せ」、そう言う勧告です。現在の文脈で言いますと、終末時計次第で、何時崩れ去るかわからない場所にいないで、今すぐにこっちに来なさい、キリストの教会に来なさい、そう言うことです。その時、「あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光のように輝かせてくださる」、この約束が伴うのです。

これは、最も簡潔に言いますと、無罪宣告です。「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ」、この御言葉に立って、私の人生を主に移した時、瞬時に無罪宣告がなされる、これがキリスト教なのです。

聖書知識が一定水準まで行かなければ救われない、何か良いことをしなければ救われない、これはキリスト教ではありません。悔い改めて、ただ主の許に立ち帰る、その時救いが約束され、その後でゆっくり聖書を学べばよろしい。まず、崩壊する危険極まりのないその場所から、あなたの人生を主に移せ、ここから信仰生活は始まるのです。

今日、最後に覚えておきたいのは、この主という神様の名が持つ絶大な意味であります。聖書が主と言います時、それは全能者であり、永遠の神に他なりません。「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ」、この主は永遠でもあられるのです。その場合、主にまかせた私たちの道も永遠と変わり、地球の命とは比べようもない、短い私たちの地上での時間も、神の永遠に取り込まれて非常に大きな意味を持つのです。永遠の一部として機能しつつ、私たちも永遠の時を共有できるのです。

地球最初の日も、地球最後の日も、主にあっては、私たちの一部でしかないのです。

この世が終末時計の秒針に目を向けて怯えている今、私たちは永遠の時を展望し希望に満ち溢れている。これが「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ」、この御言葉の立ち位置であります。