2022年08月21日「パウロの計画と神のご計画」

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聖句のアイコン聖書の言葉

22節 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。
23節 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、
24節 イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。
25節 しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。
26節 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。
27節 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。
28節 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。
29節 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
ローマの信徒への手紙 15章22節~29節

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説教の要約

「パウロの計画と神のご計画」ローマ書15:22~29

旅行の計画を立てるのは楽しいことです。地図や、ガイドブックを見ながらここに行こう、あそこに行こうと思い描く、つい時間の過ぎるのも忘れて夢中になっていた、なんてこともあるのではないでしょうか。実は、本日の御言葉は、パウロが楽しそうに語る、伝道計画が記されているのです。

「イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。(24節)」ここでイスパニアという地名が出てまいります。これはご存知の通りスペインのことでありまして、このパウロの時代には地の果てを意味する、そういう場所でありました。この後、28節にも繰り返し出て来ますが、実は聖書でこのイスパニアという地名が出てくるのはここだけです。それだけ地の果てであり、福音宣教の圏外のような場所であったのでしょう。

 実は、聖書の外典と呼ばれていて、このパウロの時代からおよそ200年前に起こったマカバイ戦争を中心に、ユダヤの歴史を描いているⅠマカバイ記に一度だけこの地名は出て来ます(→このマカバイ記は、聖書のような権威は一切ありませんが、歴史書としては第一級と称される信憑性の高い資料と言えます)。「ローマ人たちはガラテヤで戦い、その勇猛さを発揮し、そこを支配して、貢を課した。イスパニア地方では、金銀の鉱山を手に入れるためにあらゆる手段を講じた(Ⅰマカバイ8:3)」興味深いのは、金銀の鉱山を手に入れるための要所としてイスパニアが、初めてその名を示されることです。パウロの時代、福音宣教においては未開の地であったイスパニアは、ローマ帝国にとっては、すでにその200年前には、宝の山として認識されていた、ということなのです。

 しかし、パウロは、その金銀の宝の山に、福音という違う宝を届けるために、今遥か地の果てにあるイスパニアを展望しているのです。ローマは宝を取りに、パウロは宝を届けに、地の果てに目を向けるのです。しかし、同時にパウロは、イスパニアと正反対の場所に目を向けます。それがエルサレムなのです。「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます(25節)~それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。(28節)」ここでは、募金の成果を確実に手渡す、ということと、ローマ経由でイスパニアに行く、という具体的な計画が示されています。パウロの信仰に基づく計画においては、ここでようやく彼の伝道計画の折り返し地点となるわけです。そして、募金の成果を確実に手渡す、この今までの伝道旅行の集大成ともいえる大切な役割が、パウロの伝道計画のその中間点にあったわけです。しかし、実際はどうだったでしょうか。使徒言行録講解ですでに学びましたように、これから募金の成果を手渡すためにエルサレムに戻ったために、パウロはエルサレム神殿で暴行を受けた上に逮捕されてしまいます。そこからパウロは、この世の身分としては自由人ではなくて、囚人として歩むことになったのです。

実は、エルサレムでこの献金が受け取られた、という記録は一切ないのです。むしろ、せっかくパウロが集めてきた多額の献金が、エルサレムのユダヤ人信徒に拒否されたという悲しい事実を知りながら、暗に隠している節があるのです。使徒言行録の記録で、エルサレムに着いたパウロが、ヤコブや、エルサレムの長老たちと会う場面では献金のことは、全く触れられていませんし(使徒言行録21:17~26)、不審に思われるのは、その後逮捕されたパウロがカイサリアに護送されて、総督フェリクスと面談を繰り返していた場面を描く記事です。「だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。(使徒言行録24:26)」この世の支配者は、はした金では動きません。これは昔も今も同じです。では、パウロはどうして総督が下心を抱くほどのお金を持っていたのでしょうか。それは、せっかく集めた献金をエルサレムで渡すことが出来なかったからである、としか考えられないのです。パウロにとって、その伝道計画の折り返しに据えた大切な務めが空振りに終わってしまった。開拓伝道をして、教会を築き、夜も昼も御言葉によって異邦人を教え導き、献金の心を与えた、その大切な収穫を手渡すことが出来なかった。むしろ受け取ってくれなかった。おそらく、それが歴史的には事実なのでしょう。さらにパウロの計画は哀れに響きます。

「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。(29節)」繰り返すようですが、旅行の計画を立てるのは楽しいことです。地図を見たり、ガイドを見たり、ワクワクしながら計画を立てるのです。パウロだってそうだったはずです。

 エルサレムに行って募金の成果を確実に手渡す。「さて、そこから私の伝道人生の折り返しだ、これからますますイエス様のお役に立てるように頑張ろう」、その喜びが、「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています」、ここに悲しいほど満ちています。パウロが、幼子のような信仰で、無邪気に将来の夢を語っているように見えるのです。しかし、実際はどうだったでしょうか。パウロは、ローマはあくまでも福音宣教の通過点であり、地の果てである遥かかなたイスパニアを目的地としていました。しかしその通過点であったローマは、彼の福音宣教の終点となったのです。パウロが、皇帝ネロの迫害の許、さらし者にされ処刑されたことが、恐らく歴史的には事実です。つまり、本日の御言葉で描かれているパウロの計画は、ことごとく夢と散っているのです。ローマ書は、パウロの第三回目の伝道旅行の最後に執筆された、というのが大方の見方です。三度の伝道旅行を重ねたパウロは、その信仰が頂点に達し、信仰的洞察も優れていたでしょう。それは、何よりもこのローマ書が雄弁に語っています。そのパウロが、御言葉と祈りに導かれて、信仰の目で将来を展望した計画が、全て水の泡となったのです。

そして、これが神のご計画なのです。「募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます」、とパウロがワクワクしている時、神は、全く違う道を用意されていたのです。

それは、パウロが逮捕され、囚人としてこの世の支配者にキリストを証して、最後にはローマでその生涯を閉じる、ということでありました。パウロの計画と神のご計画には、大きな乖離があったのです。

 しかし、ここにも神の愛があるはずです。私たちキリスト者が死ぬということは、言い換えれば神が取られる、ということだからです。それはこの世の労苦から解放され、天の祝福に入ることであります。「もう十分だ、良く働いた、さあ涙を拭いて天の国で憩え」、これがキリスト者の死であります。そして、そこが折り返し地点なのであります。しかも、闇から光への、苦しみから喜びへの、罪から栄光への、折り返し地点なのであります。キリスト者である以上、たとえ私の計画が全て儚く消え、人の目にむなしくこの世を去ろうとも、まだ切り札が残されている。それが神のご計画なのです。私たちは、大切な計画であるほど、切なる願いであるほど、熱心に祈り続けるのではありませんか。しかし、祈っても、祈っても、叶えられない願いはあるのです。夢と散る計画があるのです。それでも尚、私たちが、神のご計画に今生かされていることに、何一つ変わりはありません。ここに真の平安があるのです。