2026年07月12日「イエスの恵みによって救われる」
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イエスの恵みによって救われる
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 15章1節~21節
聖書の言葉
1ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 2それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 3さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 4エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 5ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。
6そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。 7議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。 8人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。 9また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。 10それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。 11わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」
12すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。 13二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。 14神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。 15預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。
16『「その後、わたしは戻って来て、
倒れたダビデの幕屋を建て直す。
その破壊された所を建て直して、
元どおりにする。
17-18それは、人々のうちの残った者や、
わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、
主を求めるようになるためだ。」
昔から知らされていたことを行う主は、
こう言われる。』
19それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。 20ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。 21モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」使徒言行録 15章1節~21節
メッセージ
ここには、通常「エルサレム会議」と呼ばれる、教会会議の様子が描かれています。その主要なテーマは、異邦人の救いをめぐる問題です。本日のエルサレム会議の場面において、ひとつあらためて注目したいのは8節にありますペトロの発言です。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです」。この8節は、ペトロが経験してきた異邦人の救いについて、特に心にあったのはコルネリウスのことだと思いますが、そのことを語っている場面です。そして、ここを注目したいと申し上げたのは、ここで主語となっているのが「神は」という言葉だということです。つまり異邦人が神を受け入れたという話をしているのではないわけです。そうではなく、この出来事の最も深いところで起こっていることは、神が、異邦人を受け入れてくださったということなのです。神様が彼らの信仰を清め、神様がユダヤ人と異邦人の間の隔てを取り除いてくださったのです。
ペトロは、このような神様の御業を、この会議の場で証しています。このことは、教会の会議とは何であるのかをよく示していると思うのです。私たちの属する教会も、長老主義をとっていますから、基本的に物事は教会会議を通して決定していきます。そのときに、教会の会議には、様々な意見が出ます。時には、激しい意見の対立や論争が起きることもあり得ます。今日読んでおりますこのエルサレム会議もそうでした。けれども、教会の会議は、根本的には人間の考えを競わせる場ではないということです。誰の意見が強いとか、どちらの人数が多いかを決めるだけの場でもありません。教会の会議は、神様が何をなさっているのかを聞き取り、神様の御心に従うための場であるわけです。
今日の御言葉から教えられるもうひとつのことが、救いの中心は何かということです。11節のところでペトロは次のように言っていました。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。救いは、民族の違いや、これまでの宗教的な背景や、どれほど律法を守ってきたかによって決まるものではありません。救いの根拠は、ただ主イエス・キリストの恵みにあるのです。
「恵みによって救われる」とは、私たちの側に何か救われる資格や根拠があるということではなくて、神様の側から、ただ憐れみによって救いが与えられるということです。私たちは、自分の正しさによって神様の前に立つことはできません。神様の求めておられる御心を完全に果たすことも、自分で自分の罪を償うこともできません。だからこそ、主イエス・キリストが私たちのところに来てくださったのです。イエス様は、私たちの罪を背負って十字架にかかり、死に打ち勝って復活してくださいました。このかたの十字架と復活とによって、罪の赦しと新しい命の道が開かれたのです。