2026年06月28日「アダムとキリスト」
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アダムとキリスト
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
ローマの信徒への手紙 5章12節~21節
聖書の言葉
12このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
15しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 16この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。 17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 20律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。ローマの信徒への手紙 5章12節~21節
メッセージ
<ウェストミンスター小教理問答>*小教理問答に基づく教理説教です。
問16 全人類は、アダムの最初の違反において堕落しましたか。
答 アダムと結ばれた契約は、彼自身のためだけでなく、彼の子孫のためにも結ばれていたので、通常の出生によってアダムから生まれてくる全人類は、彼の最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落しました。
問17 堕落は人類をどのような状態に至らせましたか。
答 堕落は人類を罪と悲惨の状態に至らせました。
問18 人が堕落した状態の罪性はどの点にありますか。
答 人が堕落した状態の罪性は、アダムの最初の罪の罪責と、原義を失っていることと、一般に原罪と呼ばれている全本性の腐敗と、原罪から生じるすべての現実の違反にあります。
小教理は問13以降、人間の罪と堕落について語っていて、今日もその文脈の中で三つの問いと答えを読みました。私たちの素朴な感覚からすると、罪の話がこれほど長く続くと、少し気が滅入ってしまうものなのかもしれません。けれども、小教理がこのように罪の問題を丁寧に扱っていることには、やはり意味があるのです。
罪の問題を見つめることが大切である理由として、少なくとも二つのことを申し上げることができると思います。一つは、罪の問題が、私たちの現実そのものに深く関わっているからです。聖書は、この世界にある破れや悲しみの根底に、人間が神から離れてしまったという罪の現実を見ています。私たちの外側にある問題も、私たちの内側にある問題も、最終的には、人間が神の前に正しく立つことができなくなっているという根本問題とつながっているわけです。
もう一つの理由は、私たちは罪を認めるところで、救いの恵みを本当に受け取ることができるからです。小教理問答は、罪について多くの分量を割いています。しかし、それは小教理問答だけの特徴ではありません。本日お読みしたローマの信徒への手紙も、同じように罪の問題を深く見つめています(1〜3章)。
私たちは、そのような御言葉を読むとき、何か自分が追い詰められていくように感じるかもしれません。隠していたものが明るみに出されるような思いになるかもしれません。けれども、御言葉が私たちの罪を明らかにするとき、神様は同時に、罪人を救う御心をも示してくださいます。罪の深さを知るところで、キリストの十字架の恵みが、いよいよ鮮やかに輝きます。私たちの罪が深く、私たち自身の力ではどうにもできないからこそ、神は御子イエス・キリストを与えてくださったのです。
ローマ5章でパウロが描いているのは、最初のアダムと、主イエス・キリストとの大きな対比です。一方には、アダムがいます。アダムによって罪が世に入り、罪によって死が入りました。アダムの不従順によって、多くの人が罪人とされました。そこには、罪、死、裁き、悲惨があります。しかし、もう一方には、キリストがおられます。キリストによって恵みが与えられます。キリストの従順によって、多くの人が義とされます。キリストによって、いのちが支配します。そこには、恵み、義、赦し、いのちがあります。
そしてパウロが力を込めて語っているのは、キリストの恵みの圧倒的な大きさです。アダムによってもたらされた罪と死の現実は、確かに深刻です。私たちはそれを重く受け止めます。けれどもそれ以上に、キリストによって与えられる恵みが、それをはるかに超えて満ちあふれるのです。