神とはどのようなお方か
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書 ヨハネによる福音書 4章21節~24節
21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」ヨハネによる福音書 4章21節~24節
<ウェストミンスター小教理問答>
【問4】神とは何ですか。
【答】神は、その存在、知恵、力、聖、義、いつくしみ、まことにおいて、無限、永遠、不変の霊です。
この問4の答えは、本日お読みしました「ヨハネによる福音書」4章24節を規準にして作成されたと言われています。問4の答えは「神は」と語り始めて「霊です」と言って終わります。「神は」という部分が主語で、それに対する述語が「霊です」という部分です。「神は、霊です」。そしてその上に聖書の様々なところに教えられている神様のご性質について、付け加える形で答えが作成された、ということです。「その存在、知恵、力、聖、義、いつくしみ、まことにおいて、無限、永遠、不変」であると。それが、この問4の全体像です。
神様は霊であられます。場所において限定されることはありませんし、自由に存在するお方です。ましてや、私たち人間が「形作ろう」と言っても、そのような偶像の中に閉じ込められることもあり得ません。だからこそ、小教理は神様について「無限・永遠・不変」であると告白しているのです。無限というのは、空間に制限されないということです。永遠とは、時間に制限されないということです。そして不変とは、その本質において変わらないということです。空間も時間も、実は神様がお造りになった被造物です。そのような被造物が創造主を閉じ込めることなど、できはしないのです。また、神様は昨日も今日も、永遠に同じ方であって、気まぐれに変わる神ではありません。
次に、小教理の中にあった「その存在、知恵、力、聖、義、いつくしみ、まことにおいて」という部分に注目したいと思います。ここで「存在」から「まこと」まで七つの性質が挙げられましたが、これは私たち人間にもある程度与えられているものです。神様は、私たち人間をご自分に似せて、神のかたちに造られました(創世1:27)。神様は私たち人間を、ご自分に似せて作ってくださったので、私たちにも「存在」があり「知恵」があり「力」があり、「聖」「義」「いつくしみ」「まこと」が備わっているのです。
しかし、覚えておかなければならないことは、これらの神様と共通している性質においても、私たちのそれと、神様のそれとは決定的に違うということです。このことを、小教理は「〜において」という表現で説明しています。つまり神様は、存在において無限・永遠・不変であられます。知恵においても無限・永遠・不変です。力においても、聖さにおいても、正しさにおいても、いつくしみにおいても、まことにおいても、無限・永遠・不変であられる。私たち人間など及ばない次元で、それらを持っておられる、ということなのです。
そのような神様が、その自由な御心によって、私たちと人格的な交わりをもつことを願ってくださる。それが、聖書の語る「神様」というお方であります。私たちがどう思うかという話ではありません。神様の方が、私たちに関心を向けてくださり、そしてその御手を伸ばしてくださる。それが、聖書の語る神様というお方なのです。私たちが今、神様を礼拝できるのは、神様の側から私たちに近づいてくださったからです。霊であられる神様は、独り子を遣わし、私たちの罪を背負わせ、真理そのものであるイエス・キリストによってご自身を現してくださいました。私たちは、このイエス・キリストに結ばれてこそ、「霊と真理とをもって」礼拝する者とされるのです。