2025年08月24日「御言葉と祈りに専念する」

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御言葉と祈りに専念する

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 6章1節~7節

聖句のアイコン聖書の言葉

1そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 2そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 3それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 4わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 5一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
7こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。使徒言行録 6章1節~7節

原稿のアイコンメッセージ

 初代教会の人々は、それぞれの必要に応じて、財産や持ち物を分け合って歩んでいました。そうやって喜んで自発的に分かち合うことで、特に貧しい人のために互いに助け合っていたのです。しかし、今朝の御言葉には、日々の分配のことで、苦情が出たということが記されています。ある特定の人たちが軽んじられるという事態が起こっていたのです。

 使徒たちは、食事の分配のために新しい奉仕者を立てました。ただし、これはただ単に、食事を分配するために人を集めたという話ではありません。使徒たちが見つめているのは、神の言葉をないがしろにしないように、ということであり、祈りと御言葉の奉仕が教会の中でしっかりとなされることです。教会にはいろいろな問題やトラブルが起こります。確かに、それは教会にとって一つの危機です。しかし最も大きな危機は、神様の御言葉がないがしろにされることなのです。どんなにトラブルが綺麗に解決されたとしても、どんなに人手が与えられたとしても、御言葉に真剣に聞き従う姿勢を失ってしまえば、教会は致命傷を負うことになってしまいます。なぜなら、御言葉を失えば、イエス・キリストの命が、その教会にないからです。

 神の言葉とは、イエス・キリストを伝える言葉のことです。それが礼拝の中で聞かれていることが、私たちの教会生活にとって決定的に重要なことです。私たちはイエス様の十字架と復活を告げる御言葉を聞き続けます。なぜなら、そこに私たちの命があるからです。イエス様は、ご自分の命を投げ出してまで、私たちの罪を背負ってくださいました。私たちを神様と和解させてくださいました。そのイエス・キリストの十字架と復活の上に、私たちの信仰生活があり、命があるのです。

 教会の中で問題が起こるということ。そのことは、あまり喜ばしいことには見えないかもしれません。「教会の中でトラブルが起こるなんて、イメージと違う」「そんなのは嫌だ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。けれども、今回の御言葉のように、その問題がなければ起こり得なかった発展・成長が与えられる。これもまた、真実です。

 揉め事や、トラブルが起こったときに、どうしたらよいかわからなくなってしまうことがあるかもしれません。どのように対処したらよいかと心騒がせることがあるかもしれません。けれども、そういう時にこそ、今日の御言葉を思い起こしたいと思います。困難の中でこそ教えられることがあるのです。

 「この問題を通して、神様はどのように私たちを成長させてくださるのか」。

この、信仰の目線をもつことは大切です。この困難を通して、神様がわたしたちをどこに導こうとしておられるのか。そのことを、信仰の目をもって見つめていきましょう。その歩みの先で、私たちもさらなる成長へと導かれたいと願います。