2025年07月13日「命の言葉を伝えさせる神」
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命の言葉を伝えさせる神
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 5章12節~26節
聖書の言葉
12使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、 13ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。 14そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。 15人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。 16また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。
17そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、 18使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。 19ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、 20「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。 21これを聞いた使徒たちは、夜明けごろ境内に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間が集まり、最高法院、すなわちイスラエルの子らの長老会全体を召集し、使徒たちを引き出すために、人を牢に差し向けた。 22下役たちが行ってみると、使徒たちは牢にいなかった。彼らは戻って来て報告した。 23「牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、戸の前には番兵が立っていました。ところが、開けてみると、中にはだれもいませんでした。」 24この報告を聞いた神殿守衛長と祭司長たちは、どうなることかと、使徒たちのことで思い惑った。 25そのとき、人が来て、「御覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています」と告げた。 26そこで、守衛長は下役を率いて出て行き、使徒たちを引き立てて来た。しかし、民衆に石を投げつけられるのを恐れて、手荒なことはしなかった。使徒言行録 5章12節~26節
メッセージ
14節に「そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった」とあります。ここで、教会が民衆からの尊敬され、実際に信じて仲間に加わる人たちがますます与えられていったことは、直前に出てきたアナニアとサフィラの問題にきちんと対処したことの結果なのではないか、と思います。神様を欺くという重大な罪を犯した夫婦が、その場で息絶えたということは、一方では人々を非常に恐れさせる出来事でした。しかし他方で、内部の問題から目を背けることなく、生けるまことの神様との「本来の」交わりに歩み続けるときに、民衆から尊敬され、称賛されたのです。もし、教会がこの世に合わせようとして、信仰の根本を曲げてしまったとしたら、その教会の信仰は中身のないものになってしまいます。神様との本来の交わりを失ったならば、そこに命はありません。
最初の教会の歩みは、順風満帆といった様子に見えました。けれども、その様子が、指導者たちのねたみを引き起こすこととなります。彼らは、民衆の心が使徒たちへと向けられていることを妬み、使徒たちを捕えて牢屋に入れたのです。
ところが、ここで思いもよらないことが起こります。主である神様が天使を遣わし、使徒たちを牢屋から解放してしまうのです。主の天使は「行って境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と命じました(19節)。つまり民衆にイエス・キリストを伝えることは、使徒たちだけの願いではなく、主の御心でもあったということです。使徒の願いと、主の御心が一致するとき、その福音宣教を止めるものはどこにもありません。牢屋は、使徒たちを止めておくことができないのです。
結局、使徒たちは再び捕らえられ、最高法院に引き出されることとなります。その結果からもわかりますように、神様が使徒たちを牢屋から解放した目的は、使徒たちが逃げるためではありません。使徒たちの身の安全のために、牢から解放したのでもありません。その目的はただ「命の言葉」を伝えさせるためです。聞いた人に命を得させる言葉であり、復活されたイエス・キリストについて教える言葉のことです。イエス様を自らの救い主と信じ、受け入れる人には、命が与えられる。永遠の命が与えられる。そのことを伝える御言葉が、ここで「命の言葉」と表現されています。
私たちも今日、この「命の言葉」に心を向けたいと思います。イエス様が私たちのために成し遂げてくださったことです。イエス様ご自身は罪のないお方であり、神様の独り子であられます。そのような罪のないお方であるにもかかわらず、私たちの罪を背負って十字架の上で死なれました。本来私たちが受けるべき、罪の刑罰を背負って、身代わりの死を遂げられました。この、イエス様の十字架のゆえに、私たちは神様との交わりを回復されるのです。神様の子どもとして、神様に受け入れられるのです。この、イエス・キリストを信じて受け入れる人には、このことが無償の恵みとして与えられます。