2025年07月06日「分かち合う群れ」
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分かち合う群れ
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 4章32節~5章11節
聖書の言葉
32信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 33使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 34信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、 35使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。 36たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、 37持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
(4章32〜37節)使徒言行録 4章32節~5章11節
メッセージ
イエス・キリストを信じた人々が、心も思いもひとつにして歩んでいた、と記されています。「一人も貧しい人がいなかった」という一文を見ると、「教会の人たちは皆裕福だったのかな」と思われるかもしれませんが、そうではなりません。中には裕福な人もいたであろうと思われますが、皆が、もともとお金持ちだったわけではありません。これは、互いに助け合うことで、貧しい人たちの必要が満たされたということです。「土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り」とありますように、必要が生じたら、その都度、自分の財産を売ってささげたのです。
人々がこのように自発的に共有するようになった理由としては、少なくとも次の三つのことが言えると思います。
第一に、これは彼らが霊的に一致していたことの結果です。「心と思いを一つにして」とありましたように、彼らは霊的に一致していたのです。すべてを共有していた」とありましたが、それは必ずしも持ち物だけではありませんでした。神様から受けたすべての祝福、イエス・キリストを通して与えられた救いの恵みを、何よりも共有していたのです。私たちは、イエス・キリストが十字架の上で、私たちの罪を背負ってくださったということを信じています。それはただ、「そういう出来事があった」という過去の事実として信じているのではなくて、今もイエス様に結び合わされて、イエス様と共に生きているということです。独りぼっちで生きているのではなくて、神様の恵みの中で、イエス様と共に、生きているということです。この事実が、私たちを新しくするのです。その新しさが、私たちの具体的な生活に現れてくる、ということなのです。
人々が自発的に持ち物を共有した第二の理由は、「持ち物がすべて自分のものではなく、神様のものである」という認識に立っていたからです。32節には、「一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく」とありました。それは、彼らが主である神様との関係の中に生きていたからに他なりません。
人々が自発的に持ち物を共有した第三の理由は、その交わりが福音宣教の原動力となったからです。この時、教会には霊的な一致があり、また、徹底した献身の思いと互いの生活への配慮がありました。その意味で、理想的な愛の交わりがありました。このような教会の背景があったからこそ、「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」(33節)のです。一致も、献身も、生活への愛の配慮も、それがどんなに美しくても、それ自体が目的なのではありません。すべては福音宣教に結びついていくのです。福音宣教とは、イエス・キリストを伝えることです。イエス様と共に生きる。その喜びを、さいわいを、一人でも多くの方と共にすることです。その意味で、初代教会に見られた愛の交わりは、福音宣教をおしすすめる大きな原動力となったからこそ、素晴らしいものであったのです。