2025年06月29日「主よ、お話しください」

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主よ、お話しください

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
サムエル記上 3章1節~4章1節前半

聖句のアイコン聖書の言葉

1少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。 2ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。 3まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。 4主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、 5エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
6主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。 7サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。 8主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、 9サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
10主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」 11主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。 12その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。 13わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。 14わたしはエリの家について誓った。エリの家の罪は、いけにえによっても献げ物によってもとこしえに贖われることはない。」
15サムエルは朝まで眠って、それから主の家の扉を開いた。サムエルはエリにこのお告げを伝えるのを恐れた。 16エリはサムエルを呼んで言った。「わが子、サムエルよ。」サムエルは答えた。「ここにいます。」 17エリは言った。「お前に何が語られたのか。わたしに隠してはいけない。お前に語られた言葉を一つでも隠すなら、神が幾重にもお前を罰してくださるように。」 18サムエルは一部始終を話し、隠し立てをしなかった。エリは言った。「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように。」 19サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。 20ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。 21主は引き続きシロで御自身を現された。主は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示された。

1サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。サムエル記上 3章1節~4章1節前半

原稿のアイコンメッセージ

 神様が語ってくださる。このことは本当に感謝であり有難いことでありますが、このときサムエルが聞いた言葉の内容は、耳を塞ぎたくなるような、裁きの言葉でした。エリの息子たちが堕落していたゆえに、エリの家が裁かれるということであり、罰せられる、ということでした。サムエルにとっては、尊敬するエリ先生に向かって「あなたは裁きを受ける」と告げなければならない、ということを意味していました。これはサムエルにとって、また何よりもエリにとって、聞きたくないメッセージだったはずです。

 サムエルは、このお告げを伝えるのをためらいました。師匠であるエリに、「あなたは裁かれる」と告げなければならないからです。けれども、エリはサムエルに対して、聞いたことを包み隠さずに話すように促しました。

 サムエルにせよ、エリにせよ、その根底には、神の言葉への信頼があります。語られた言葉がどれほど耳の痛い内容であったとしても、その御言葉を謙遜に語り、聞くことができたのは、ただ神の言葉を信頼しているからに他なりません。

「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」

 このような姿勢で御言葉に耳を傾ける時、私たちは神様からの語りかけを確かに受け止めることができます。今、神様の言葉は、聖書を通して私たちに語りかけられています。礼拝の中で語られる、御言葉の説き明かしを通して、私たちに語り掛けられます。「主よ、お話しください」という期待と、「しもべは聞いております」という謙遜をもって耳を傾ける時に、私たちもまた、神様の御心を聞き取ることができるのです。

 神の言葉についてもうひとつ、大切なことに触れておきたいと思います。それは、「神の言葉は、イエス・キリストを通して人となった」ということです。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネによる福音書1章14節)

 聖書の御言葉は、イエス・キリストこそ、神の言葉そのものであると語っています。それはつまり、私たちがイエス様に聞き従う時にこそ、神様の御心が本当にわかる、ということです。イエス様が福音書の中で語っておられること。それだけでなく、イエス様の生涯、すなわち十字架と復活の全体を通してなされた神様の救いの御業。そしてイエス・キリストを告げる聖書全体。それらの御言葉から、私たちが真摯にイエス・キリストを聞き取るときに、私たちを真剣に愛してくださる神様の御心を聞き取ることができるのです。

 ご自分の独り子を十字架上で犠牲にしてまで、私たちの命を買い取ってくださる、そんな神様の御心を知ることができるのです。その、神様の御声を、聞き取っていきたいと思うのです。