2025年05月11日「生きた教会の姿」
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生きた教会の姿
- 日付
- 説教
- 金原堅二 牧師
- 聖書
使徒言行録 2章41節~47節
聖書の言葉
41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
43すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。 44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、 45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 46そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、 47神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。使徒言行録 2章41節~47節
メッセージ
今日お読みした御言葉には、誕生したばかりの教会の様子が記されています。イエス様を信じた人たちは、バラバラに歩み始めたのではなくて、教会の一員として、一つとなって歩み始めました。
最初の教会の姿、それは第一に、使徒の教えに熱心な教会でありました。「使徒」とは、もともと「遣わされた者」という意味ですが、ここでは特にイエス様に直接出会って、教えを受けた弟子たちのことを指しています。人々は、その使徒たちの教えに熱心に耳を傾けていた、と言うのです。イエス様は、マタイ福音書の最後のところで「あなたがたに命じておいたことをすべて教えなさい」と命じておられました。その通りに、使徒たちは教会で人々に教えており、また人々も、使徒たちの教えに熱心に耳を傾けていたわけです。
最初の教会の姿、それは第二に、愛によって互いに交わりをもつ教会です。ここで言う「相互の交わり」とは、ただお互いに語り合うだけではありません。持ち物や食べ物を分け合うことも、ここに含まれているのです(44~45節)。ここで言っていることは、信者たちが自発的に、誰かの必要に応じて持ち物を分け合うことで、助け合った、ということです。何か共産主義的な理想を語っているのではなくて、互いに愛をもって必要を満たしていた、というものです。ただその愛による助け合いが自発的に、そして喜びを持って為されたのです。
最初の教会の姿、それは第三に、神に向かって礼拝する教会です。46節では、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」と書かれていました。キリスト者となった人々は、賛美や祈りについては、他のユダヤ人たちと同様に神殿で行い、礼拝をささげていたことがわかります。けれども同時に「家ごとに集まってパンを裂き」とありますように、キリスト者独自のものである聖餐式については、神殿とは別の「家」に集まって執り行っていたわけです。彼らは神殿で、またそれぞれの家で、毎日ひたすら心を一つにして礼拝生活を送っていたのです。
最初の教会の姿とは、第四に、外に向かって証しをする教会です。教会に連なる人々は、民衆全体から好意を寄せられていたことがわかります。これは、彼らがそうあろうと努めたということもあるかもしれませんが、むしろ使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった結果、そのような群れとして整えられた、ということでしょう。教会に連なる人々は、生き生きと信仰生活を送っていました。主の教えに耳を傾け、互いに愛をもって助け合い、毎日心をひとつにして礼拝をささげていました。そのようなキリスト者たちを遠巻きに見ていた民衆は、「ここには何かがある」という恐れの思いと共に、だんだんと好意を寄せていったのです。主イエス・キリストの救いの恵みを心から喜び、それに突き動かされて生きる人々の姿は、それ自体が証しとなって影響力をもっていきます。その結果、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにする」という実りをもたらしていくのです。