2025年05月04日「神の招きに応える」

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神の招きに応える

日付
説教
金原堅二 牧師
聖書
使徒言行録 2章37節~42節

聖句のアイコン聖書の言葉

37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。使徒言行録 2章37節~42節

原稿のアイコンメッセージ

 ペトロの説教を通して罪を自覚し、救いを求める求道の思いを与えられた人々は、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と問いました。それに対するペトロの応答は明快です。まず、ペトロは「悔い改めなさい」と語っています。悔い改めるとは、ただ後悔したり、反省するのとは違います。聖書の言う悔い改めとは、方向転換することを言うのです。神様に背いて生きていた人が、神様に向かって180度向きを換えることです。もっと単純な言い方をするならば、「悔い改めなさい」とは、神様のところに帰って来なさい、ということです。神様と共に生きていきなさい、それが、悔い改めて生きることなのです。そのための道筋が、イエス・キリストを信じて受け入れることです。

 また、「イエス・キリストを信じて、神様と共に生きていきます」という、その公の意思表示として、洗礼を受けることが同時に求められています。洗礼は、「水の洗い」とも言われます。現代も教会では、ある人がイエス様を信じて信仰を言い表す際には、洗礼式を執り行います。あたかも水で体のよごれが洗い流されるのと同じように、キリストの血で罪が清められて聖なるものとされる、ということがそこで示されるわけです。ひとつ言えることは、「わたしは、イエス様の救いに与ります」と公に信仰を言い表す時点で、既にそこには聖霊の導きが始まっている、ということです。イエス・キリストへの信仰を公に言い表すということは、その人に聖霊の導きが始まっており、救いの恵みが実を結んでいることの証拠なのです。その、はっきりしたしるしとして、洗礼が授けられます。そこから、その人の新しい人生が始まるのです。

 聖霊が、私たちとイエス様を結び合わせてくださいます。イエス様の十字架によって、私たちと神様との和解が与えられます。父なる神様が、私たちを我が子として迎え入れてくださいます。「賜物として聖霊を受ける」とありますが、神様が与えてくださる救いの全体像から思い巡らしますと、そのように申し上げることができるのです。聖霊の導きによって歩む。それはどこまでも父・子・聖霊なる神様の恵みの中で歩むという、祝福の約束なのです。

 父・子・聖霊なる神様が与えてくださる救いの約束。賜物として聖霊が与えられ、いつも神様と共に歩むという恵みの約束。この約束は、身分も国籍も関係なく、主が招いてくださる人には誰でも与えられるのです。それまでに、どんな歩みをしてきたか、といったことは関係ありません。どんなに自分が弱さをもっていたとしても、どんなに自分が情けないと感じたとしても、主の恵みはそのようなことで妨げられることはありません。主が招いてくださる。このことが大切なのです。

 この新しい人生に入るために、私たちに必要なことは、ただ神様の招きに応じることだけです。より具体的には、イエス・キリストを、「わたしの」救い主と信じて受け入れることだけなのです。主の招きに、感謝して応答しましょう。