毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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よろしい、清くなれ ルカ5:12-16
イエスは「あなたは人を生かす者になる」(5:11)と語って漁師を弟子にしました。
本日の個所からは、イエス一人ではなく弟子が共におり、弟子たちが人を生かすイエスの姿を学んでいくことになります。
全身重い皮膚病にかかった人がイエスに「御心ならば(望むなら)、わたしを清くすることがおできになります。」(12)と願い出ました。イエスの「よろしい清くなれ」は、正確には「わたしは望む、清くなれ」であり、イエスが望んだことが強調されています。
重い皮膚病についての規定がレビ記13章、14章に記されています。その者は「衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらなければならない。・・・その人は一人宿営の外に住まねばならない」(レビ13:45、46)とあります。イエスはこの汚れ隔絶の規定を無視して手を伸ばし、その人に触れて清めました。
これにより、この人は皮膚病と汚れから救い出され、人との交わりが回復されました。弟子たちは、イエスが人を生かす姿を目の当たりにし、自分たち語ることになる福音の意味を知ったはずです。
また、イエスは汚れを清める者であること、イエスにおいて清いものと汚れたものの区別が解消されることをこのできごとは示しています。
イエスにおける救いは教会(新約)において実現していますが、旧約との大きな違いの一つは、清いものと汚れたものとの区別がなくなったことです。イスラエル人(清いもの)と異邦人(汚れたもの)との区別は、使徒言行録10章に記された異邦人伝道にあらわれているように全くなくなりました。エフェソ書2章11節以下には、異邦人とイスラエル人とがキリストにおいて一つであることが強調されています。
イエスは癒した人に祭司のところに行って、「あなたは清い」との宣言(レビ13:8)を受けるように命じました。これは、イエスには重い皮膚病、すなわち汚れを清める力があることを祭司に確認させることです。これはメシアであることの確認であり、当局との対立を生んでいきます。
『重い皮膚病について』
新共同訳聖書に出てくる「重い皮膚病」とは、旧約のヘブライ語「ツァラアト」、新約のギリシア語「レプラ」の訳語です。
以前の日本語聖書のほとんどが「らい病」と訳していました。らい病とは「ハンセン病」についての古い別称です。聖書に出てくるツァラアトとレプラはハンセン病(らい病)のことだと考えられてきたのでそう訳されたのですが、病理史研究により、今では旧約聖書の時代とその地域においてハンセン病は存在しなかったことがわかっています。
レビ記13章、14章にツァラアトの症状の詳細な説明が出てくるのですが、それらはハンセン病の症状と一致しません。また、衣服や家屋に生じるツァラアトが記されており「かび」と訳されています(13:47-、14:33-)。このように皮膚、家屋、衣服に生じる「ツァラアト」とは何のことであるのか正確にはわからず、ナゾのままです。
それゆえ、日本聖書協会から出版された最新の『協会共同訳』聖書では、重い皮膚病ではなく「規定の病」となっています。これは病名ではなく「聖書が規定している病」という説明調で、訳語とは言えない苦肉の訳です。
レビ記は、動物・魚・鳥を汚れたものと清いものに区別したり(11章)、産婦の汚れについて規定したり(12章)する点で特殊です。「わたしは聖なる者であるから、あなた方も聖なる者となりなさい」(11:45、19:2)の教えを深く刻み込むための教材として規定されたのですが、結果的に種々の誤解を生むことになったといえます。「清い」、「汚れている」の区別の基準について、信仰的・合理的な説明が聖書にはなく、今日ではこの区別は無効です。
なお、教会が、ツァラアトをらい病(ハンセン病)と同一視したため、ハンセン病の患者を差別し、社会から排除するという悪習を助長してきたことも事実です。それゆえ、ハンセン病は汚れた病ではないこと、罪とは無関係であること、今では薬によって治療できること、感染の恐れがないこと、隔離する必要のないこと、など正しい知識を知ることと、その教育を教会内で行うことが求められています。