毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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十字架のイエス マタイ27:45-61
12時から3時まで全地が暗くなったとあります。この暗闇は、神がモーセをとおしてエジプト全土を裁いた闇(出10:21-23)のと同じく神の裁きです。
神が全地を裁き、その裁きをイエスが一身に受けています。それゆえ、その終わりにイエスは叫びました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(27:46)。神に見捨てられ、裁かれた者の苦悩であり、わたしたちが負うはずのものでした。
ただし、ここには絶望だけでなく、この後に実現する全人類の救い、すなわち救いの御業の成就についての確信も表明されています。なぜなら、この叫びは詩編第22編の冒頭のことばであり、イエスは22編全体を持ち出しているからです。
22編の前半22節までは、神にも人にも捨てられた孤独と苦悩に満ちた嘆きの詩であり、十字架のイエスに当てはまります。そして、23節以下から終わりまでは、神に救われた者の感謝と賛美の詩であり、よろこんで神にしたがう国々のありさまが描かれています。これは、復活後のイエスを受け入れ、賛美と感謝をささげるわたしたちの姿に重なります。
イエスの叫びは、神に捨てられた者の嘆きであり、救いの実現を確信して「わが父」に向けた祈りであり、信頼でもあるのです。
イエスが息を引き取った時、不思議なことが起こりました。神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました(参照マルコ15:38、ルカ23:45)。これは神と人を隔てる幕であり、人の罪を象徴するものです。イエスの十字架によって、罪が取り去られ、わたしたちが何のためらいも無く、神に近づく道が開かれたことを示します。
「地震が起こり、岩が裂け、・・・眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返り・・・」(27:51-53)は、特殊な黙示的表現であって、事実の記述ではなく、救いの真理を破格の表現で示すものです。その真理とは、イエスの十字架は聖なる者たちを死の支配から解放し、わたしたちに復活をもたらす、ということです。