毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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マタイ27:27-44
判決後、兵士たちは処刑するためにイエスを連れて行き、処刑されるはずであったバラバは、イエスと入れ替わって、釈放されました。さぞ驚き、喜んだことでしょう
キリストによる救いは、神学用語で代理贖罪と言われます。罪人に代ってキリストが罪を償い、罪人がゆるされることが福音の中心です。この代理贖罪の構図がバラバとイエスの間に見てとれます。
そう考えるなら、キリストが受けた侮辱・苦難・死は、本来わたしたちが受けるべきことでした。イエスの姿の中に自分を見いだして、驚き、喜び、感謝し、嘆くことが受難節の過ごし方であるといえます。
死に定められたイエスの姿はみじめです。まだ生きてはいても、部隊の全員が集められ、その前であらん限りの侮辱と暴力が加えられました。人間としての尊厳はまったく失われているように見えます。イエスもあわれですが、それを行う兵士たちは知らないとはいえ、正しい者であるみ子を死に追いやっているのですから、もっとあわれです。
第二次世界大戦中、ユダヤ人たちはアウシュビッツなどで大規模な虐殺を受けました。その悲惨さは写真、映像、記録などで知ることができますが、それらは逆説的に人間の尊厳を考えさせます。受難のイエスは尊厳に満ちており、死に支配されたあわれな者とは、イエスをなぶる者たちの方ではないでしょうか。
兵士は、シモンにイエスの十字架を無理に担がせ、ゴルゴにてイエスを他の強盗と共に十字架につけました。これは、イエスが罪人の一人となったことを示しています。イエスの苦しみは罪人として受けているものです。わたしたちに代わってですが。
見物人や祭司長たちがイエスに投げつけたことばは、神の子であるなら自分を救えというものです。「他人を救ったのに、自分を救えない」(42)には、真理の一端があります。み子は、自己犠牲においてわたしたち罪人を救う方です。このために天の父は独り子を世に遣わしました。それゆえ、み子の十字架には、神の愛と正義があらわれています。