毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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バラバとイエス マタイ27:11-26
本日のピラトの裁判によりイエスの十字架刑が決まります。
イエスが無言であることと、思わぬ者により真実の一端が示される点は、大祭司の裁判と共通しています。夢は誕生物語において繰り返し登場した神意伝達の方法です。また、ピラトの妻を通してイエスが正し者であることが示されることで、この裁判が神の特別な摂理の中にあることが示されています。
イエスが無言であるのは、メシアとしての姿であり(イザ53:7)、それが人の罪との戦い方でした(イザ53:4-5)。このイエスの戦いを、信仰をもって思い返す者はイエスの側に立つ者です。
ピラトは一貫してイエスを釈放しようとします。それゆえ、ピラトが指名したバラバとは、ユダヤ社会においては決して引き取りたくないたぐいの犯罪人でした。マルコ(15:7)とルカ(23:19)はバラバを暴徒・殺人者と書いています。正しい人より暴徒・殺人者を選ぶできごとは、神より罪を好み、選び取るわたしたちの有様を端的に映し出しています。世が不条理に満ちているのは当然なのかもしれません。
ピラトについては、使徒信条に、主イエスは「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、・・・」と出てきます。この場合、一個人としてのピラトであるよりも、皇帝の代理人、また神の前で人類を代表する者としてのピラトであるといえます。それゆえ、ピラトが主イエスを十字架につけたのではなく、ピラトの裁判をとおして人が、いやわたしたちがみ子を十字架につけたのであるということができます。
ピラトは「いったいどんな悪事を働いたというのか」(23)と語ったにもかかわらず、皆の前で手を洗って責任を放棄し、十字架につける決定を下すできごとは、不正義、責任放棄、冤罪判決など不条理に満ちています。
群衆は「その血の責任は、我々と子孫にある」(25)と叫びました。それゆえ、み子の死の責任をユダヤ人に問うことがあります。しかし聖書は人の罪がみ子を死に渡したことを教え、教会は自分たちがイエスを死に追いやったことを知り、悔い改め、福音宣教に立ち上がりました。