毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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主イエスはどこに ヨハネ20:1-10
主イエスが新しい墓に葬られたことは(ヨハネ19:41)重要です。イエスの復活が起ったことで、イエスにあって死ぬ者にとって死と葬りは絶望ではなく希望かわりました。新しい死と葬りがはじまったという点で、新しい墓であると聖書は記しています。
墓穴をふさぐ大きな石が取り除けられていたのは、イエスが墓から出るためではありません。弟子たちに、墓の中を見せるためであると同時に、死の世界に穴が開いたこと見せるためです。
墓穴の中に置かれていたイエスの遺体を包んでいた亜麻布は、死の力を示す死に装束であり、これが置かれていたとは、イエスがメシアの権威・力をもって自ら死を脱ぎ捨てたことを意味します。イエスがラザロを復活させたとき、「手と足を布で巻かれたまま出てきた。顔は覆いで包まれていた。イエスは『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた」(11:44)とあります。ラザロは自分の力で復活したのでないので、死に装束をほどいてもらわなければなりませんでした。イエスは、死を無力にした方ですから、死を自分で振りほどいたのです。
ペトロとイエスの愛しておられた弟子の二人が走って墓に向ったところ、ペトロが後れを取ったことなどがわざわざ書いてあります。ヨハネ福音書の独特な記事です。
ペトロが後れを取ったのは、墓への到着だけでなく、「入って来て、見て、信じた」(8)のはイエスが愛した弟子であり、ペトロではない点でも同じなのです。
他の箇所でも、この二人は一緒に登場し(13:23-24、21:7-7、18:15-16?、19-22)、ペトロが後塵を拝することで目立っています。イエスに愛され、イエスを愛する点でまさる弟子の姿を見ることができます。母マリアもペトロではなく、この弟子に委ねられました(19:26-27)。
「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」は、「まだ知らなかった」という意味です。知っていれば、復活の朝にこんなに混乱しなかっただろうが、知らないので大慌てであったのだとの解説です。