毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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不安な世界、不安な心 ガラテヤ5:16-26
ウクライナ戦争に、パレスチナはガザでの虐殺、トランプ関税による大混乱、民主主義の終焉を思わせる為政者の身勝手、世界と社会はどこに向かっているのでしょうか。
東日本大震災やトカラ列島での頻発地震は、自然が牙をむいたときの力を見せつけます。人はなすすべがありません。
近年の夏の暑さは異常です。雨が降ると、何十年に一度の降水量でしたとのニュースを聞くのが当たり前のようになっています。異常気象は、自然現象というより、人間の欲深さが自然を破壊していることへの自然からの警告、自然の悲鳴、あるいは復讐かもしれません。
また、各々がかかえている経済、健康、家族、仕事、将来などについての心配事もあることと思います。
広辞苑で「不安」を引いてみると、「安心のできないこと、気がかりな様」とありました。心理学的にいうと「自分の価値を脅かすような破局や危険を漠然と予想することに伴う不快な感情」と定義されると書いてあるものがありました。車が自分に向かって突っ込んでくるというように、対象がはっきりしているときには恐怖を感じるのですが、漠然と予想する場合に不安として認識されるのだそうです。
ただし、不安な感情は誰もが持つものであるとともに、自身の安全が脅かされると感じる警告の役割があるので、とても大切な役割を果たしているとのことです。世界のありさまや身の回りのことを見知って不安を感じることは、人としてまっとうなことです。将来に不安を感じて選挙の投票にいくのは、正当な動機です。
不安は各自の心の中で沸き起こる感情なので、個人的であり、主観的、すなわち人それぞれです。異常気象といわれて不安になり、自然を守る行動を取る人がいれば、異常気象を認めず何の不安も持たない人、異常気象を認めても不安にならない人もいるでしょう。
不安は心の中に起こる感情です。不安に対処するクリスチャンらしい方法というものはあるのでしょうか。