毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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成し遂げられた ヨハネ19:28-37
十字架において、イエスは「渇く」(19:28)、「成し遂げられた」(30)と語って息を引き取りました。
「イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り『渇く』と言われ」ました。「すべてのこと」とは、罪人の身代わりとして果たす罪の償いと、その苦しみのすべてです。イエスは、この一切のことが成し遂げられたことを理解したゆえに、「渇く」と語りました。
なぜなら、「渇く」は、詩22:16「口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く」のことばであり、この神に捨てられた者の苦悩が、十字架において成就していたからです。
また、イエスが語った「渇く」は、「兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。」(34)と結びついています。
流れ出た「血」は、イエスの贖いの死を意味します。
流れ出た「水」は、わたしたちを生かす永遠の命を意味します。以前イエスは、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(4:14)、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」(7:37)と語っていました。この命にいたる水が十字架のイエスのもとにあることを端的に示したのがイエスの脇腹から流れ出た水です。
イエスは渇き、わたしたちはイエスが与える命の水によって生かされています。
以上から、イエスの十字架の渇きは、詩22全体の成就であることがわかります。神に捨てられた者の苦悩と(22:2-22)、神の救いへの賛美(23-32)が22編の全体であるからです。
イエス最後のことば「成し遂げられた」は、救いを成就した確信と満足を表しています。「息を引き取られた」は、「霊を返した」と書いています。平安の内に霊を父に自ら返したのであり、人の手によって命を奪われて殺されたのではありませんでした。