毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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イエスの逮捕 ヨハネ18:1-11
レオナルド・ダ・ヴィンチが書いた「最後の晩餐」が有名です。イエスが弟子のひとりが自分を裏切ろうとしていると語り、弟子たちが動揺する姿が描かれています。
裏切り者はユダであると知っているのに、イエスは名を明かさないでいます。実はイエスはユダに語っているのであり、ユダはそれを聞くと一目散に大祭司のもとに向かい、イエス逮捕を呼びかけました。こうしてイエス逮捕の準備が整いました。
イエスは頃合いをはかっていつもの園に行きました。それはユダの一団を迎えるためです。「ユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。」(18:3) この様子には、取り逃がすまいとする決意が見て取れます。
しかし、イエスはすべてを理解し、覚悟を決めているので、自分から「進み出て、『だれを捜しているのか』と言われた。」(4) 本当は武装した一団など、必要なかったのです。
「だれを捜しているのか」が、本日の箇所のテーマです。「ナザレのイエスだ」と彼らは答えました。それはそのとおりナザレのイエスを捕えに来たのですが、ナザレのイエスは、恐ろしくも「わたしである(わたしはある)」お方でした。
不思議にも、イエスが「わたしである(わたしはある)」と語るや否や、「彼らは後ずさりして、地に倒れ」(6)ました。「わたしはある」とは、神の名前であり(8:24、28、58、13:19)、聞く者を瞬時に震え上がらせる権威に満ちた言葉だったのです。彼らは、ナザレのイエスをとらえに来たのですが、実は神その方を恐ろしいことに敵と見定め、捕えに来たのでした。
イエスは、ご自分の羊を一人も失わないため(9)、また「父がお与えになった杯は、飲むべき」(11)であるため、自ら彼らの手に落ちていきました。