毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしの時 ヨハネ17:1-5
17章は、十字架を前にしたイエス・キリストの祈りです。イエスが弟子たち(教会)のために父なる神にとりなしている内容なので、大祭司の祈りともいわれるものです。
序である1-5節で、イエスが「父よ、時がきました。・・・子に栄光を与えてください」と祈っています。
「時がきました」は、これまでは「わたしの時はまだきていません」(2:4、7:6)と繰り返していたのとは違います。神が定めた十字架の時が来たということです。
祈り求める「栄光」については、「世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」と語っています。あの栄光とは、どの栄光なのでしょうか。1:1-5に、天地創造前のみ子が言として記されています。「初めに言があった。言葉は神と共にあった。・・・万物は言によってなった。・・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」 人を照らす光であり命として輝いていた栄光です。
十字架のできごとは、天地創造に匹敵するほど特別な救いの業です。なぜなら、神がみ子であるキリストにすべての人をゆだねたことが明らかになるからです。ゆだねるとは、み子を信じる者に永遠の命が与えられるからです。それゆえ、この十字架こそ、み子にとって最も栄光に満ちたできごとです。
具体的には、十字架にかかった姿にみ子の最高の栄光があることを、弟子たちが理解できるようにしてくださいと祈り、弟子たちに聞かせているのです。また今のわたしたちにも聞かせているのです。
使徒パウロは、イエスの福音が分からなくなったガラテヤの信徒たちに対し、3:1で「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」と書きました。十字架につけられたイエスを思い描き、そこにわたしの救いを見ることができること、これがイエスの祈りの中心です。