毎週日曜は礼拝の日
日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜礼拝
- 毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 祈祷会
- 毎週水曜日 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
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わたしは世に勝っている ヨハネ16:25-33
イエスが「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」(16:25)と語りました。これは、イエスが父なる神について明確に教えるということであり、それにより、父とみ子イエスとの関係について弟子(教会)が理解することになる、ということです。
実際に教会が誕生したとき、教会は父なる神、み子なるキリスト、聖霊なる神を理解しました。そして「わたしは父のもとから出て世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(28)との教えを受入れ、教会はそのはじめから天におられる主イエスを礼拝しています。
弟子が「今、分かりました」(30)と言い、イエスが「今ようやく、信じるようになったのか」(31)と返しているのですが、実際には、死と復活の後に理解したことを先取りして書いるといえます。
事実としてこの直後に弟子たちに起こることは、「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」(32)です。
「散らされる」とは、ユダヤ人がイエスを逮捕し、弟子たちがチリジリバラバラにされることです。
「自分の家に帰ってしまい」とは、失望してイエスを見失うことです。
「わたしをひとりきりにする」とは、弟子を失い、ひとり十字架にかけられることです。
「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」(32) イエスの十字架による罪人の救いは、父が計画し、み子にゆだねたのであり、その父が苦悩するキリストと共にいたのです。キリストも父の支えを理解していました。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(33) イエスの勝利は敵方と思えるユダヤ人をなぎ倒すことではありません。人の罪と、人を支配する死をなぎ倒すことです。このイエスと共に生きているのですから、勇気を出し、勇気をもって生きていきましょう。「わたしは既に世に勝っている」