2022年11月27日(日) 日曜礼拝「これはわたしの体である」

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2022年11月27日(日) 日曜礼拝「これはわたしの体である」

以下をクリックすると、説教動画を見ることができます。https://youtu.be/0UZKPKn-hpo




これはわたしの体である マルコ14:22-26

今日の聖書箇所は聖餐式制定の場面です。聖餐式は、無教会といわれる教会は別ですが、ほとんどの教派で重んじられている儀式です。

パンと杯は十字架のキリストをあらわすだけでなく、体をもって復活したキリストをも意味します。それゆえ、パンと杯を食する者は十字架のあがないにあずかっていることと、復活して天におられるキリストにあって生きていることを体感することができます。

 キリストは「これはわたしの体である」、「わたしの血である」と語っているので、これを食する者はキリストと一体であることになります。

 また、一つのパンを割いて弟子たちに手渡したこと(14:22)、一つの杯を弟子たちに渡し、皆その杯から飲んだ(23)ことから、陪餐者(信者)はキリストにあって一つであること(世界中の教会が一つであること)になります。

 聖餐式は、世界中の教会が一つであり、キリストにあって一体であることを具体的に教える大切な儀式であるのに、宗教改革時代の聖餐論争(聖餐式におけるキリスト臨在の意味)において教会分裂の大きな原因の一つになりました。大変不幸で残念なことです。

 キリストは十字架の死を「契約の血」であると語っています。日本的にいえば、契約内容の確実さを示すための血判状に近いものです。旧約聖書の中では、救い出されたイスラエルがシナイ山で神と契約を結んで神の民となったとき、雄牛の血の半分を祭壇(神)に、もう半分をイスラエルの民に振りかけました(出エジプト24章)。この契約こそが旧約聖書を契約の書とするほど大きな意味を持ちました。

 十字架の死は、旧契約にかわる新しい契約を結ぶできごとであり、罪人を救う神の救いそのものです。それゆえ、ご自分の死を「契約の血」であるとキリストは語りました。

聖餐式はキリストの死とわたしたちの救いを示しています。それゆえ、説教は語られた福音であり、聖餐式は司式者によって演じられ、陪餐者によって体感される福音です。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会
毎週水曜日 14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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