2021年9月26日(日) 日曜礼拝「命を救うのか、殺すのか」

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2021年9月26日(日) 日曜礼拝「命を救うのか、殺すのか」

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説教要旨

イエスは、安息日をめぐるファリサイ派の律法解釈を否定しただけでなく、「人の子は安息日の主でもある」と語ってご自分のもとに安息があることを明言しました。そして、会堂に入っていきました。

 会堂には片手のなえた人がおり、人々はイエスを訴える口実を見つけるため、イエスがこの人をいやすかどうか注目していました。

 イエスは、彼らの魂胆を知ったうえで、その人を真ん中に立たせて、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と問いかけました。人々が黙っていると、イエスは憤り、また心がかたくなであることを悲しみながら、「手を伸ばしなさい」と語ってその手を直しました。

 ファリサイ派の人々はヘロデ派の者たちと、どのようにしてイエスを殺したらいいか相談をはじめたと6節にあります。

 このできごとも安息日をめぐる律法解釈が問題になっています。律法とは旧約聖書の教えのことです。律法解釈とは旧約文書の単なる解釈ではありません。旧約聖書とその教えは、それをとおして神が秘めている救いを伝える(啓示する)ものですから、それを解釈するとは、神のお考えや計画、深いみ心を解き明かすことです。

 それゆえ、イエスとファリサイ派の律法解釈をめぐる争いは、どちらが神のみ心を正しく解き明かしているかを争う深刻な問題であったのです。イエスにおいて神の救いが差し出されているのか、イエスは偽り者であって救いはファリサイ派たちユダヤ当局のもとにあるのか、この対立こそが両者を分け、ついにはイエス逮捕と処刑をもたらしました。

 6節にあるイエス殺害について相談したとは、宣教の最初から対立は決定的であり、十字架の死は必然であったことを示しています。

 ヨハネ福音書1章18節に「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」と記されているとおり、神のひとり子であるイエス・キリストにおいて、神の愛と救いがわたしたちに啓示されています。

毎週日曜は礼拝の日

日本キリスト改革派 仙台カナン教会は、毎週日曜日に神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで都合のつかない方は、水曜日の祈祷会(お祈りの会)がおすすめです。

日曜礼拝
毎週日曜日 午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
祈祷会
毎週水曜日 14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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