イエスの怒り

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イエスの怒り

いちじくの木はエルサレムの運命を暗示しています。茂った葉で期待を持たせても、実際に近寄ってみると何もないというのはのはエルサレムと同じです。

イエスの怒り マルコ11:12-26

エルサレムに着いた翌日、イエスはベタニアから出たところで見つけたいちじくの木が期待に反して何の実もつけていないため、呪ってからエルサレムに入っていきました。

このいちじくの木はエルサレムの運命を暗示しています。茂った葉で期待を持たせても、実際に近寄ってみると何もないというのはのはエルサレムと同じです。

イエスがエルサレム神殿の境内に入るとにぎやかであったのですが、それは商売の騒がしさでした。イエスは、「そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された」(11:15)。そして言われました「『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった」(17)。前半の祈りの家の句はイザヤ56:7の引用、強盗の巣の句はエレミヤ7:11からです。

 祈りの家、すなわち神を礼拝し、神に祈る聖なる場所であるべきであるのに、商売という金儲けの場所にしていることへの怒りです。エレミヤ書7章は、「主の神殿、主の神殿、主の神殿」(7:4)とむなしく語るだけで、「盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い」(9)などを重ねることは神殿を「強盗の巣」とすることだと断じています。そして、11節以下で、かつてシロの聖所に行ったように、廃墟にすると書いています。

 また、ユダヤ人の祈りの家ではなく、すべての国の人の祈りの家とある点は重要です。イエスによってまことの神礼拝がこの後はじまるのですが、それは文字どおりすべての国の人が集う新しい礼拝です。この点は、イザヤ書56章が捕囚後の新しい時代の救いと礼拝について、宦官や異邦人にも開かれていると預言していることに通じています。

 どうか、イザヤ書56章、エレミヤ書7章全体を読んでください。イエス到来によりエルサレム神殿が捨てられることと新しい救いと礼拝がはじまることが旧約において預言されていたことがよくわかります。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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