わたしの愛する子

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わたしの愛する子

下山途中、イエスは「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と語ります。ここでも、ご自身の死と復活に言及しています。「わたしの愛する子」が殺され、復活することの意味が分かるまで語るなとの注意です。死者からの復活が栄光に満ちたメシアのわざであることは、まだ弟子たちには理解できません。

わたしの愛する子  マルコ9:2-13

 本日の箇所は、山の上でイエスの姿が変わり、エリヤとモーセと語り合ったという不思議なできごとです。

 イエスは3人の弟子を連れて高い山に登りました。山は神がモーセをとおしてご自分をあらわし、十戒を与え、民と契約を結んでイスラエル民族を形成した場所です。神がエリヤをとおしてご自分を示し、バアル神を蹴散らしたのも山の上です(列王上18:20-40)。

 イエスの姿が変わり服は白く輝いたとは、イエスが天的存在であり、神の子(マルコ1:1)であることを示しています。

 以前みたとおり、イエスはメシア(キリスト)であるとペトロが告白したことで、新しい段落が始まりました。メシアとは旧約聖書が待望した救世主であることからして、旧約を代表するモーセとエリヤがイエスと語り合ったことは、旧約とイエスとが一体であることを意味しています。何を語り合ったのかについてマルコは記していませんが、並行箇所であるルカ9:31には「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた」とあります。

 目の前で起こっていることを理解できない弟子たちに対し、「雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け』」。旧約以来、雲は神の臨在を示すものです。それゆえ、声の主は神であり、神がイエスにおいて救いとその奥義を啓示することを弟子たちに宣言したのでした。旧約において、シナイ山で十戒を与えて救いを啓示したことに相当するできごとです。

 下山途中、イエスは「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と語ります。ここでも、ご自身の死と復活に言及しています。「わたしの愛する子」が殺され、復活することの意味が分かるまで語るなとの注意です。死者からの復活が栄光に満ちたメシアのわざであることは、まだ弟子たちには理解できません。

 エリヤについては、「エリアのような」という意味であり、洗礼者ヨハネもイエスも「エリヤのような」神からの使者でした。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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