母の願い

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母の願い

救いを勝ち取る熱心に、異邦人とイスラエル人の区別はありません。わたしたちの救いについても、人の間にいかなる区別もありません。イエスの救いが必要だとの願いが真実なものであればよいだけです。

汚れた霊に取りつかれた娘を持つ母親とイエスのやりとりが今日の聖書箇所です。

 このできごとにおける重要な点は、「女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであった」と記されているとおり異邦人であるという点にあります。

 娘を助けてくれるように願う母親に対し、イエスは「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(27)と語ります。マタイ15:21以下に同じ話があります。そこと照らし合わせると、「子どもたち」とは、神の民であるイスラエル人のことです。イスラエル人の救いをさしおいて、救いのパンを異邦の娘に与えるわけにはいかない、ということです。

 すると母親は「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(28)と返しました。これを聞いたイエスは、マタイが説明しているように、母親の信仰をほめて、願いどおりに娘を救いました。

 意地の悪いイエスのようにも見えますが、これまでも見られたことです。5:21以下のヤイロの娘の場合、イエスは娘が死ぬまで時間かせぎをしたように読めます。長血の女においては、「わたしの服に触れたのはだれか」(5:31)と語って、恐れる女を人々の前に引き出しました。けれど、いずれも信仰により願いが聞き入れられたことを当人に分からせるためであり、信仰を強めるためにしたことでした。

 創32:23以下には、神がヤコブと相撲を取って負けることでヤコブを励ます場面があります。イエスは、母親といわば相撲を取ったといえます。母親は、イエスにある救いを取り逃がさないため、あらん限りの知恵をしぼってイエスに立ち向かいました。そこにはイエスにしか娘を救えないとの判断と決意、すなわち信仰を見ることができます。

 救いを勝ち取る熱心に、異邦人とイスラエル人の区別はありません。わたしたちの救いについても、人の間にいかなる区別もありません。イエスの救いが必要だとの願いが真実なものであればよいだけです。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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