人間の心

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人間の心

イエスは群衆を呼び寄せて、外から人の中に入るものが人を汚すことはなく、人の中からでてくるものが人を汚すと教えました。

ユダヤ教権威筋から、昔の人々の言い伝えを守らず汚れた手で食事をしたと非難されたイエスは、彼らに対して、言い伝えを守っても神のみことばを無にしていると返しました。これが先週の聖書個所です。

 この後、イエスは群衆を呼び寄せて、外から人の中に入るものが人を汚すことはなく、人の中からでてくるものが人を汚すと教えました。

 今日のキリスト教では、「汚れ」をおそれて避けるという意識はほぼないように思います。理由は、今日の箇所のように、イエス自身が外的汚れというものはないということをはっきりと教えたことにあります。

 Ⅰテモテ4:1-5では、結婚を禁じたりある種の食物を禁じるのはいつわりの教えであるとし、「食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」と書いています。神が創造した世界において、それ自体で汚れているものはないということです。

 「人から出て来るものこそ人を汚す」(マルコ7:20)。これがファリサイ派・律法学者などの教えに替えてイエスが主張した点です。

 「人から出る」とは「心から出る」(21)ということです。人と心を同一視しているようで、奇妙に思うかもしれませんが、この場合の人とは、生物としての人のことではなく、神が見るところの人のことです。神が人を見るとは、その心を見るということです。神がノアの大洪水を起こした理由について、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(創6:5-6)と記されています。

 「人の心から悪い思いが出て来る」のであり、この悪い思いから出る悪が人を汚すのです。この汚れとは罪のことです。
 キリスト教の罪とは、行為のことである以上に、心の中にあるものに目を向けさせます。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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