神が目を留めて

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神が目を留めて

聖霊に満たされたエリサベトの託宣を聞いて、天使ガブリエルのことばが本当であることを深く理解したうえで、「わたしの魂は主をあがめ」と賛美しています。自らを神にささげることを心からよろこぶ姿が見て取れます。

新約聖書の中には、讃美歌として歌われていたのではないかといわれる詩がいくつかありますが、マリアの賛歌はもっとも有名なものです。

 マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」とガブリエルに答えましたが、賛歌は、そのことば、あるいはその信仰を詩にしたものであるといえます。

マリアは、エリサベトを訪問し、その身に起こっていることを確認しただけでなく、聖霊に満たされたエリサベトの託宣を聞いて、天使ガブリエルのことばが本当であることを深く理解したうえで、「わたしの魂は主をあがめ」と賛美しています。自らを神にささげることを心からよろこぶ姿が見て取れます。

 また、自らが「身分の低い、主のはしため」であっても、神が「目を留めてくださった」ことを「幸い」と語ります。これはエリサベトが「主は今こそ、こうして、このわたしに目を留め」(1:25)と感謝したことに通じています。これは、特別なこの二人だけでなく、わたしたちにもあてはまります。何より、イエス・キリストという救い主をとおして、わたしたちを神の子として認め、目を留めていてくださいます。すなわち、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)と教えられている神の愛が、わたしたちに与えられているのですから。

 キリストの降誕は、わたしたちに対する神の愛そのものである永遠のみ子がわたしたちに与えられたできごとです。

 み子は世に生まれました。その世は「思い上がるもの者」や「権力のある者」が目立ち、力を振るい、弱い者を支配しているようであっても、神の力と救いの恵みが勝利することをわたしたちは知っています。皇帝アウグストゥス(ルカ2:1)が支配するときに、約束の救い主が生まれ、皇帝の権力により救い主は十字架につけられました。しかし、その十字架の死こそがわたしたちを救う神のみわざでした。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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