改革派教会

キリスト教会は、イエス・キリストと弟子たちの直接の働きと、その後のイエス・キリストの弟子たちの働きによって始まりました。初代の教会は一つでしたが、その後、現在までの二千年を越える教会の歴史の中で、様々な伝統や教派が生まれてきました。
 12世紀には、三位一体神学の聖霊の発出を巡る論争により、西ローマ帝国の領域内に拠点を置く西方教会(ローマ・カトリック教会)と東ローマ帝国内に拠点を置く東方教会(正教会、ギリシャ正教などと呼ぶ)に分かれました。さらに16世紀にはマルチン・ルターを指導者として西方教会(ローマカトリック教会)内に起きた教会改革(宗教改革)運動からプロテスタント教会が生まれました。現在、カトリック教会、正教会を「旧教」、プロテスタント教会を「新教」と呼ぶこともあります。改革派教会は、プロテスタント教会(新教)の流れの中にある正統的・標準的な教会のひとつです。
 改革派教会は、「改革派(教会)」(神学的な特徴の面からの名称、ヨーロッパ大陸系の教会)、「長老派(教会)」(教会の制度の面からの名称、英国、米国系の教会)、あるいは「改革長老派(教会)」などと呼ばれることがあります。また、18世紀のスコットランドの教会改革運動を今もなお継承した固有名詞としての「改革長老教会」を名乗るグループもあります。いずれにしても、改革派教会、長老教会は、マルチン・ルターによって始められた教会改革をさらに徹底させ、体系化したスイス・ジュネーブの教会指導者ジャン・カルヴァンによって基礎が据えられました。

日本キリスト改革派教会
 改革派の流れの中から英国のピューリタンやオランダの改革派、米国の長老派や改革派が生まれ、それらの流れに属する宣教師たちによって、日本にも改革長老派系の教会が生まれました。
 植村正久や高倉徳太郎が指導した(旧)日本基督教会は、日本で最も古い歴史を持つプロテスタント教会でありまた、戦前においては最大の教団でありましたが、緩やかな改革長老派の立場を取る教会でした。その中には、少数派ではありましたが詳細な教理信条を重んじるグループ (米国南長老教会の宣教師たちのとの交わり、神戸神学校、中央神学校、正統神学研究会など) が継続して存在しました。
 日本キリスト改革派教会は、その伝統を継承しながら、戦時の合同教団であった日本基督教団から、戦後いち早く(1946年4月)離脱した8教会、9人の牧師長老によって創立されました。創立宣言に謳われているものは歴史的改革派神学に立つこと、及び「一つの信仰告白」「一つ教会政治」「一つ良き生活」を目指した教会形成です。その後は、来日した米国の長老派、改革派の宣教師たちと協力しながら伝道を進めてきました。2014年現在、全国に142の教会・伝道所があります。

 前文を附したウエストミンスター信仰基準(信仰告白・大教理問答・小教理問答)を役員全員が誓約すべき教会の信仰基準として定め、またハイデルベルグ信仰問答を教育上有益なものとして推奨しています。