2021年02月18日「祈りについて (5)」

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祈りについて (5)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 121章1節~2節

聖句のアイコン聖書の言葉

121:1 目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けは、どこから来るのか。
121:2 私の助けは来る。天地を造られた主のもとから。
     (新改訳聖書2017年度版)詩編 121章1節~2節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちの個人的な祈りがより真実で豊かなものとなり、神に喜ばれ、聞かれるために、今日も二つばかりお話させて頂きます。

 第一に、私たちの祈りの内容は、つい決まり切った狭いものになりがちですので、時々、自分の祈りを吟味し、大切なものを加え、豊かな内容にしたいと思うのです。

 私たちは、色々な点において内容が無意識の内に固定化し、それも狭いものへと固定化しがちです。無論、それが全て悪いのではありません。御言葉と御霊に従う生活とか、主の日の礼拝を中心とする礼拝的人生の確立などは、年を重ねる程、いよいよ堅固になるべきでしょう。

 しかし、そういう土台や柱であるようなもの以外の、今、私たちが学んでいる日毎の祈りの内容などが狭いものに固定化されることは、神の栄光を表し、神を喜ぶ者となるというクリスチャンの中心的目標から言いますと、残念なことです。神は、ご自身の子として下さった私たちクリスチャンが、祈りにおいても一層成長し豊かになることを期待しておられます。

 では、どのようにすると良いでしょうか。色々考えられます。岡山西教会では、例えば、Aさんが、教会員から出された祈祷課題を毎月、一枚の紙にまとめて書いて下さっていますが、それらを読み、それらの祈祷課題を知らせて下さったお一人一人の気持と状況を思い、心に留めるだけでも、私たちの意識と祈りの内容はかなり変ります。

 会堂の掲示板にある様々な報告やアピール、週報に書かれている報告・案内・消息・祈祷課題からも、祈るべき課題を多方面から示されます。

 日本キリスト改革派教会の大会教育機関誌(聖書日課)『リジョイス』には、毎日一つ、全国の教会・伝道所とそこの牧師の名前が上げられていて、祈りの課題を与えられます。また今そこには改革派岡山教会の柏木貴志牧師の書かれたアウグスティヌスについての文章もあり、古カトリック教会の雰囲気も伝わり、霊的刺激を受けます。クリスチャン新聞社が毎月出しています『福音版』や『百万人の福音』、日本基督教団出版局から出ている『信徒の友』などに目を通しますと、更に祈りの課題を与えられます。新聞もそうです。日本や世界の問題に対する様々な角度からの優れた分析などに触れますと、祈りの必要性を痛感させられ、祈りを大きく広げられます。

時々、自分の祈りの内容を吟味し、より豊かなものにしたいと思います。

 第二は、自分の祈りの言葉を、時々チェックすることです。何故なら、祈りの言葉においても、私たちはつい自己流のものに留まり、固まり、成長しないことがあるからです。祈りの言葉も、本来、私たちの信仰の深まりや成長と共に変り、成長する一面が必ずあると思うのです。

 では、具体的にはどうすれば良いでしょうか。その一つは無論、聖書にある祈りの言葉に学ぶことです。例えば、詩篇121:1、2はこうです。「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは来る。天地を造られた主のもとから。」(新改訳聖書2017年度版)

 しかし、今日はもう一つのことを心に留めたいと思います。それは、他の人の祈りの言葉によく耳を傾け、学ぶことです。すると、その人が口にする単語や言葉遣いから教えられることが必ずあります。そしてそこから、その人の祈りの深さ、高さ、鋭さ、広さ、意識の高さ、謙虚さ、また御言葉を真剣に学び、自らに適用しようとする熱心さも教えられることが、多々あります。

 他の人の祈りを耳で聞くだけではなく、書き止められた祈りの言葉を読むことも尊いですね。新教出版社の『改革者の祈り』という本を読みますと、宗教改革者たちの祈りの言葉から、随分教えられます。

 決まった言葉で祈る部分があっても、無論、構いません。しかし、私たちの祈りの言葉は、しばしばワンパターンに陥りがちですので、他の人の祈りの言葉から学ぶことは、とても大切です。

 今日は、公的な場ではない所で祈られた宗教改革者カルヴァンの自由な祈りを、二つだけご紹介して終ります。

「全能の神。あなたは私たちを慈愛をもってご自身の下に招き、耳が聞こえなくても、私たちに恵みを与えて下さることをおやめになることはありません。どうか私たちが喜んであなたに従い、あなたの御言葉によって支配されることを私たちにお許し下さい。どうか、私たちが、確固たる思いをもって、一日だけでなく、また短い期間だけでなく、私たちの歩むべき旅路全体を通して、あなたの内にある天の休息に共に集められる時まで、あなたに従う者とならせて下さい。我らの主イエス・キリストによって。アーメン。」

 「全能の神。あなたはご自身を低くして、かくも親しく近くなって下さいましたから、どうか私たちも、熱心にあなたに近づき、確かな聖なる交わりの内にいる者とならせて下さい。御言葉をもって私たちにお示し下さいました正しい礼拝を続けている間に、あなたの御恵みがますます大きくされ、ついに天の御国に私たちを呼び集められる時、その完成の姿を見るところにまで導かれますように。私たちのイエス・キリストによって。アーメン。」

 この二つだけでも、どんなに教えられるでしょうか。もっともっと教えられたいと思います。

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