2025年11月13日「人の生きる目的 6」

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人の生きる目的 6

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 43章4節

聖句のアイコン聖書の言葉

43:4 こうして、私は神の祭壇に、私の最も喜びとする神のみもとに行き、竪琴に合わせて、あなたをほめたたえます。神よ、私の神よ。詩編 43章4節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、人の生きる目的という大切なことの二つ目として、この世界と私たち人間を造られた神ご自身を喜ぶという点を学んでいます。古代イスラエルの一人の信仰者は、辛い試練の中でも歌いました。詩篇43:4「こうして、私は神の祭壇に、私の最も喜びとする神のみもとに行き、竪琴に合わせて、あなたをほめたたえます。神よ、私の神よ。」

 打ち続く苦難と試練の中で彼の魂は渇き、呻き、神を激しく慕い求め、もうギリギリの状態でした。でも、彼は倒れませんでした。続く5節で「わが魂よ。なぜお前はうなだれているのか。なぜ、私の内で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を」と、彼は自分に語りかけ、自分と論じ、自分に命令します。何がこういうことを可能にしたのでしょうか。4節で「私の最も喜びとする神」と歌いますように、神が彼の喜びだったことでした。

 少し脱線しますが、かつて20世紀最大の説教者の一人と言われたマーティン・ロイドジョンズの説教の一部を思い出します。彼は、クリスチャンは自分自身の言いなりになってはならず、もっと自分に問いかけ、自分について自分と論じ、御言葉によって自分に命令しないといけない、という主旨のことを語っています。何と大切なことでしょう。

 話を戻します。

 詩編43編の作者は、神の与える祝福は求めるけれど、神ご自身にはさほど関心がなく、神を愛したり神を喜ぶことなどない、という利己的な俗人ではありませんでした。もしそうであったなら、神からの祝福を感じられず、辛いことの続く今、信仰を棄て、精神的にも荒廃していたかも知れません。しかし、彼は違いました。神が神であるが故に、つまり、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変のお方であるが故に、神が彼の最高の喜びでした。ですから、厳しい試練に遭遇し、色々なものを失っても、崩れませんでした。

 人は何を求めて生きるでしょうか。喜びを求めて生きると言えましょう。人間の顔には、笑ったり、笑顔を作るための筋肉が、他の動物とは比較にならないほど沢山あるそうです。神は人をそういうふうに特別に造られたわけです。そして、笑顔ほど美しいものはありませんね。喜びは、人が人であることの証しとさえ言えるでしょう。

 ところが、この喜びも人間の罪のために大きく歪み、罪深いものや卑しいものにも喜びを覚える者となりました。他人の不幸や苦しみを喜ぶなどです。

 また罪のために、人間の喜びには常にどこか虚しさが伴っていますし、どんな喜びも長続きしません。全ては喜びの源であられる神との関係が、罪のために壊れてしまったことに原因があります。

 しかし、ここに福音があります!神の御子、子なる神が、救い主イエス・キリストとなって下さったのです。そして私たちはただ、イエスへの信仰により、罪を赦され、神との本来の祝福された関係に戻して頂き、神の子供とされ、子供が親に似るように、少しずつですが神のきよいご性質に与り、神に似る者とされます。また、神の下さる様々な良いものを一つ一つ感謝して正しく喜べる者にされ、しかもそれらを通して、最終的には造り主なる神ご自身を永遠に喜べる者とされるのです!

 救い主イエス・キリストを心から受け入れる時、私自身の経験からも言えますが、私たちには変化が起ります。それまでは、ただ何かを見て楽しく、食べて美味しく、聞いて嬉しいだけであったのが、全ての善きものの源であられる神ご自身の素晴らしさを思い、神を喜ぶという、さらに大きく、深く、きよい喜びを覚えるようになります。道端の小さな草花や茜(あかね)色に染まった夕陽を見、心洗われるような美しい音楽を聞き、適度な運動や労働の後の心地良い汗や疲労感や空腹を覚えても、クリスチャンは今やそれら一つ一つのことで神に感謝を覚え、神を仰ぎ、神を本当に喜ぶことができます!何という幸いでしょうか。

 幼い子供は、親の耳を引っ張るなどして、親をよく遊び道具にして楽しむことがありますね。そしてそれは子供を愛する親にとっても喜びです。イエス・キリストを通して私たち信仰者の父となって下さる神も、勿体ないことに、何と私たちが神を喜び、神を楽しむことが、ご自分の喜びでもあるのです。

 この世には色々な喜びや楽しみがあります。罪深いものでない限り、感謝して楽しめば良いです。Ⅰテモテ4:4は言います。「神が造られたものは全て良いもので、感謝して受ける時、捨てるべきものはありません。神の言葉と祈りによって、聖なるものとされるからです。」

 しかし、最高の贅沢は、愛をもって私たち人間をお造りになり、御子を賜ったほどに私たちを愛して下さっている神ご自身を喜べることではないでしょうか。神は余りに素晴らしい方ですから、神を喜ぶのに永遠を要します。天国とは、そういう状態を言うのです。

 しかも詩篇作者同様、この喜びを知った者は、この世でどんなに辛いことに遭っても、私たちの究極の、また永遠の喜びとなって下さる神ご自身によって必ず支えられます。何と幸いなことでしょう!

 人の生きる主な目的を6回にわたり学んで来ました。私たちを造られた神の栄光を現し、神をほめたたえ、また神を永遠に喜ぶというこの二つのことを改めて心に刻み、常に意識し、そして互いに励まし合って生きて行きたいと思います。

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