2025年08月21日「神と共に歩んだエノク」

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神と共に歩んだエノク

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
創世記 5章21節~24節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:21 エノクは六十五年生きて、メトシャラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神と共に歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。創世記 5章21節~24節

原稿のアイコンメッセージ

 多くの人は、どういう人生を幸せと思っているでしょうか。趣味が多彩で楽しく生き、人に注目され、ドラマティックな生涯で有名になり、名声を得、あるいは、良い相手と巡り合って結婚し、仲の良い家庭を築き、また友人が多く、色々な所へ旅行できることでしょうか。

 どれも感謝なことだと思います。しかし、これらが私たちの人生の幸福度を決める決定的な条件とか物差かといいますと、どうでしょう。神の御言葉・聖書は、こういう点でどう述べているでしょうか。

 

 先程、創世記5:22~24を読みました。その時は読みませんでしたが、ご承知のように、ここの前後には、「~~は何百何十年生き、~を生み、こうして彼は死んだ」という記述がずっと続いています。何百何十年というこの数字については、今は触れません。

 興味深いことに、そういう中、エノクだけ、22節と24節で「神と共に歩み」と二度言われています。また、エノクについての記述の最後は、他の人たちのように「~~は死んだ」という普通の言い方ではなく、「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と記されています。これを新約聖書のヘブル人への手紙11:5は、「エノクは死を見ることがないように移されました」、つまり、天に移されたと述べています。

 エノクの生涯は、他の人の寿命と比べてかなり短いものであり、半分かそれ以下でした。「神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」本当にそういう短い一生でした。それと、聖書の記述から見ますと、彼には息子と娘が数人いて、それ以外には特別なエピソードもなかったようです。平凡で目立たない人生であったと言えるでしょう。

 では、こういう人生はどうなのでしょうか。仮に、病気であれ事故によるものであれ、短いという理由だけで、あるいは、誰かと比較して特にこれといった特別なエピソードもないというだけで、それは不幸な人生なのでしょうか。それはつまらない人生であり、内容のない人生なのでしょうか。

 聖書は、こういう表面的な見方に与(くみ)しません。もっと大切な本質的な点、根本的な点を見ます。それは、先ほど申し上げましたが、印象的な記述、すなわち、「神と共に歩み」という点です。実は、ここにエノクの全人生が要約されているのです。そして、これこそ、私たちにとっても真(しん)に幸せであることを聖書は教えようとしているのです。

 跳び上がって踊りたいほど嬉しい時も、その反対にじっと唇を噛み締めなくてはならない辛く悲しい涙の時も、常に天地の造り主なる生ける真(まこと)の神を仰ぎ、神から離れず、神と共に歩む!ここに私たちの人生にとって最も幸せな姿がある、と聖書は言うのです。

 「神と共に歩む」とは、第一に常に神と人の前に常にへりくだり、第二に救い主なる神の御子イエスを幼子のように信じ、受け入れ、信頼し、第三に常に神を仰ぎ、神に祈りつつ喜んで神の御心に従う従順な生活と言えるでしょう。「エノク」とはヘブル語で「従う者」という意味です。神に従って歩む子供であることを願って、両親はそう命名したのでしょう。

 このことは、既に人間としての生き方そのものにおいても幸せだと思います。今、神へのへりくだりと信頼と従順を挙げました。こういうこと自体、人間として何と尊いことでしょうか。

 10歳で赤痢の高熱のため、重い脳性麻痺になられ、体は全く動かず、喋ることもできず、1984年、47歳まで生きられた水野源三さんは、「瞬きの詩人」と呼ばれたクリスチャンでした。しかしその彼も、かつては病気を呪い、死ぬことしか考えなかったそうです。

 ところが、イエス・キリストを信じ、神と共に歩み始めた時、彼は変りました。その彼が瞬きの合図だけで作った『今日も一日』という詩があります。

 「新聞の匂いに朝を感じ、冷たい水の旨さに夏を感じ、風鈴の音の涼しさに夕暮れを感じ、蛙(かえる)の声はっきりして夜を感じ、今日一日終りぬ。一つ一つのことに神様の恵みと愛を感じて。」

 彼にとって、時間は輝き、極(ごく)平凡な一つ一つのことに神の恵みと愛への感謝と感動があります。神と共に歩む人生とは、こういうものだと思います。

 そして神と共に歩む人生には、文字通り、永遠の祝福が待っています。神がエノクを5:24「取られた」とありますその元のヘブル語ラーカフには、「受け入れる」という意味もあります。そうなのです。神と共に歩む人は、死んで一切が終りなのではありません。人は忘れても、こういう人は、世を去る時、神に永遠に受け入れられるのです。全ての労苦、悲しみ、痛み、涙からも全く解放され、神からの永遠の安らぎと慰めの内に憩い、世の終りの栄光の復活の時を、全ての聖徒たちと共に天の国で待つことを許されるのです。

 特別なエピソードがなくても、地味で目立たなくても構いません。しかし、エノクのように、あの人は「神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と言われる人生を、是非、ご一緒に歩むこと、歩み続けることを許されたいと思います。

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