2021年07月22日「祈りについて (19)」

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聖句のアイコン聖書の言葉

15:1 兄弟たち、私があなた方に宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなた方はその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
15:2 私がどのような言葉で福音を伝えたか、あなた方がしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなた方が信じたことは無駄になってしまいます。
15:3 私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてある通りに、三日目に甦られたこと、コリントの信徒への手紙一 15章1節~4節

原稿のアイコンメッセージ

 祈りについて今日も学びます。19回目となります。

 祈りが真に神との交わりになるために、心掛けると良いこととして、前回は神の全能の力を覚え、告白しつつ祈る大切さをお話しました。信仰を必ず励まされ、困難は続いていても私たちは前進できるようにされるからです。

 イエスは弟子たちに、世にあっては苦難がある、と言われました(ヨハネ16:33)。その通り、私たちにはこの世で必ず苦難があります。体や心の健康のこと、仕事や学業、人間関係など、色々な困難に遭います。それが余りに大きく複雑で、到底自分の手に負えない時、私たちは途方に暮れ、意気消沈し、溜息ばかりで、祈っても殆ど祈りになっていないことがあります。無力感に押し潰され、心がバラバラになっているからです。

 しかし、そういう時こそ、神の全能の業(わざ)を思い起し、それを覚え、告白しつつ、祈るのです。すると私たちは、御言葉と共に働かれる聖霊に希望を与えられ、心が落ち着き、前に進めることがよくあります。

 では、具体的にどういう神の御業(みわざ)を思い出すと良いでしょうか。前回、私たちは、第一に旧約聖書の冒頭が語る、神が天と地を無から創造されたことを思い巡らし、第二にかつて神が大いなる奇跡をもってイスラエルをエジプトから救われたその全能の御業を回想することを学びました。他にも沢山ありますが、今日でこの点を終えたいと思います。

 そこで第三点ですが、何といってもそれは御子イエス・キリストにおいて表された神の全能の御力です。そもそもイエスのご存在、そのご人格と御業の全てが、神の全能の御力を見事に表しています。

 イエスはⅡサムエル7:11以下の預言通り、ダビデの子孫として世に来られました。イザヤ7:14の預言通り、処女(おとめ)マリアから誕生されました。イザヤ52:13~53章にかけての預言通り、イエスは苦難の僕(しもべ)として全生涯を私たち罪人の救いのために献げ、遂に十字架で命を献げられました。

 イエスは、神の全能の力をどんなに世に示されたことでしょう。何千人という空腹の群衆に、イエスは余る位十分に食べさせられました。病に苦しむ夥しい数の人々を朝から晩まで癒され、ご自分のことを「人の子には枕する所もない」(マタイ8:20)とおっしゃった位、御言葉を宣べ伝え、神の憐れみの業をなし続けられました。

 また人を3人も生き返らされました。ナインの町のやもめの独り息子(ルカ7章)、会堂司ヤイロの独り娘(ルカ8章)、またラザロを死後、数日経ってから生き返らされました(ヨハネ11章)。

 けれども、神の全能の力を最も鮮やかに表しているのは、何と言ってもイエスご自身の復活です。「あなたは、私の魂を陰府に捨て置かず、あなたにある敬虔な者に、滅びをお見せにならない」(詩篇16:10)という預言通り、神は御子イエスを、しかもホセア6:2の「三日目に立ち上がらせて下さる」との預言通り、三日目に見事に復活させられました。

 クリスチャンであっても、信仰が弱りますと、神を疑い、神に期待出来なくなることがあります。それどころか、「本当に神はおられるのか」という疑いすら抱くこともあるでしょう。

 こういう時こそ、私たちはイエス・キリストの存在そのものが何より神を証しており、特にイエスの復活の事実こそ、私たちが神を信じる究極の根拠であることを改めてしっかり覚えたいと思うのです。パウロもⅠコリント15:2~4で力を込めてこう語りました。「私がどのような言葉で福音を伝えたか、あなた方がしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなた方が信じたことは無駄になってしまいます。私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてある通りに、三日目に甦られたこと」と。

 「これ以上はもう無理。万事窮す」と思う位、私たちが行き詰り、祈ることすら出来なくなりそうな時こそ、十字架で死なれたイエスを、旧約聖書の預言とイエスご自身の約束通り、神が復活させられた事実をこそ覚えたいと思います。死を命に変える力程、凄いものはありません。

 たとい死ぬような事態になっても、私たち信仰者は死と滅びに永遠に飲み込まれるのではなく、御子を復活させられた全能の神が、その同じ力で私たちを守り、天の国に必ず入れて下さることを堅く信じ、それ故、一切をご存じの神を仰ぎ、神に委ね、私たちは自分に出来ることをしていくのです。しかも私たちのために、御霊が私たちの内にあって呻きをもって執り成しておられること、また何より死と復活を御自ら体験された主イエスが、父なる神の右にあって、どんな時にも私たちのために執り成して下さっていることを、決して忘れたくないと思います。

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