2021年11月21日「柔らかな心で」

問い合わせ

日本キリスト改革派 川越教会のホームページへ戻る

柔らかな心で

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 10章9節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、
10:11 天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 10章9節~16節

原稿のアイコンメッセージ

<要約> 使徒言行録10章9-16節  「柔らかな心で」

今日は10章9~16節。先週のコルネリウスの話の続きです。
10:9 翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。
先週の話を思い出すと、コルネリウスの家から二人の召使と側近の部下がヤッファに向かっていたちょうどその時の話しです。
ペトロは、ユダヤ教の規定に従って、屋上で昼の12時の祈りをしていたのです。

10節には、「彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになった」とあります。
当時、普通のユダヤ人は1日2食だったそうです。
朝食は朝8時から10時くらい。朝は軽食で、午後3時から4時頃でこちらはしっかりした食事をとるのが普通だったようです。ですから、ペトロが屋上で祈っている時に夕食の準備が始まっていたのでしょう。下から、おいしそうなごちそうのにおいがしてきたのかもしれません。ペトロは祈りながら「我を忘れたようになった」とあります。もしかしたら眠ってしまったのかもしれません。
ですが、この時ペトロは不思議な夢? あるいは幻?を見ました。
天から風呂敷のようなものか、あるいは空飛ぶ絨毯のようなものが吊り下がってきました。その中には「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。」とあります。そして天から声が聞こえたのです。
「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声でした。

天の声はそれらを屠って食べるようにと言ったのです。いくらペトロが空腹だったと言っても、そんなにたくさんのものを食べられない!と、そんな話しではありません。
実は、ユダヤ教には厳格な食物規定があります。汚れた食べ物があるのですが、その規定は結構複雑です。この中で一番はっきりしているのは「地を這うもの」です。
レビ記11:41には、「 地上を這う爬虫類はすべて汚らわしいものである。食べてはならない」という禁止令があります。
他にも、四つ足の動物では、ひづめが完全に割れていない動物と食物をはんすうして食べない動物は汚れたもの。鳥類も、汚れたものとそうでないものという区別があり、ユダヤ人たちはそれを守っていたのです。
ユダヤ人たちは、旧約律法に定められている食物規定を守ることで、神の前に自らを清く保とうとしていたのですが、それがユダヤ教徒としての彼らのアイデンティティ、誇りでもありました。
そして、ペトロをはじめとして多くのキリスト者たちは、イエス・キリストをメシア、救い主と信じて、新しい歩みを始めていましたが、今までのユダヤ教徒として、律法にしたがった生き方にも従っていたのです。
ですから、彼は答えました。
「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」
しかし、天の声がまた聞こえてきました。
10:15 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」というのですから、天の声は神の声だということがペトロにはわかったはずです。そして、同じことが3回繰り返されてから、入れ物が天に引き上げられたのです。

ペトロは、当然、これが意味のある神からのメッセージだ、と分かったはずです。
17節を見ると、「ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていた」とあります。
ここではまだ、その意味が理解できなかったのです。

ここでのポイントは、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」です。
そしてこの話とこれからの出来事、その両方から、神の救いから遠いと考えられていた異邦人たちも、イエス・キリストを信じる信仰によって、同じ神の民となる。異邦人も救いの対象であり、福音宣教すべき人々だ、ということが理解されるようになるのです。

イエスは天に戻る前に使徒たちに語っておられます。
使徒1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
これは、キリストの福音が地の果てにいたるまで、つまり全世界に語られて、全ての人々がキリストの救いに与ることになる、ということです。
ですから当然、異邦人たちの救いが前提とされています。しかし、使徒たちにはそれが理解されていなかったのです。
それで、神は、この不思議な幻を通して、エルサレム教会の中心人物であるペトロに教えられたのです。

「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
実際、福音書の中でイエスはこのことをいろんな場面で教えておられますし、この教えをパウロも展開しています。関連個所を何箇所か記しておきます。
マルコ7:15「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
ローマ14:14-15 「それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。
あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。」
一テモテ4:3-4 「結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。」

関連する説教を探す関連する説教を探す