2021年08月29日「目からうろこ」

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目からうろこ

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 9章10節~19節

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ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 9章10節~19節

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<説教要約> 使徒言行録9章10-19節「目からうろこ」
今日の説教に入ります。先週からの話の続きです。キリストを信じる者を捕えてエルサレムに連行するためにダマスコに向かったサウロは、突然天からの光に照らされて地に倒れました。そして復活のイエスの声を聞いたのです。
「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかけ。
サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という答えが返ってきました。そして、その声の主は「 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と言ったのです。
サウロは地面から起き上がって、目を開けましたが、何も見えません。声の主が見えない、というのではなく、本当に目が見えなくなっていたのです。彼は同行者に手を引かれて、ダマスコに着きました。
それから三日間、目が見えないまま、彼は祈り続けました。今日の話はそこからです。

サウロが断食して祈っている時、イエスはダマスコにいる弟子、アナニアの幻に現れて語りました。
9:11「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
9:12 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
イエスはアナニアに、サウロのところへ行くよう指示し、そこでなすべきことを示しました。
またサウロに対しては、アナニアという人が来て、彼の目を再び見えるようにしてくれると幻で告げています。
このように、神は、きちんと準備し、整え、人を用いてご計画を進めていかれる、ということが分かります。私たちには突然のできごとように感じたとしても、全てのことは、決してその場しのぎ、あるいは偶然の出来事ではありません。天地を創造し、人をお造りになった神は、お造りになった世界を今も支配しておられます。ですから地上で起こってくる全てのことは、神の御手の内にあり、神のご計画の中で起こるのです。

13節、14節でアナニアはイエスに質問をしています。
9:13「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
9:14 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
サウロの、キリスト者に対する傍若無人な行動について、アナニアも知っていたのです。
アナニアが、何故、キリスト者を迫害する人物をわざわざ助けに行かなければならないのかと思うのも当然です。
イエスはここで、アナニアに必要な説明と情報をお与えになり、行動を促しています。
9:15「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
ここでイエスが語ったのは、サウロに与えられた働き、使命です。
「異邦人、王たち、イスラエルの子らに、イエス・キリストの名を伝える」
これが、神がサウロに与えた使命であり、その器、働き人として、イエスご自身が選んだのがサウロなのです。

イエスの説明を聞いたアナニアは、サウロのもとへ急ぎました。
そしてイエスの言葉通り、祈っていたサウロの上に手を置いて言いました。
9:17b「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
アナニアは、恐る恐るサウロを尋ねたのかもしれません。
しかし家に入ってみると、そこには、目が見えないまま、真剣に祈っているサウロの姿がありました。それを見て、アナニアはイエスの言葉を確信したはずです。
彼は、サウロの上に手を置いて、「兄弟サウル」と呼び掛けています。
そして、自分がイエスに示された訪問の目的を彼に伝えました。
「主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」と。

9:18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、
9:19 食事をして元気を取り戻した。
ここで、「たちまち目からうろこのようなものが落ち」とあります。「目からうろこ」です。
「目からうろこ」という言葉を検索しますと、「あることがきっかけで、急に物事の実態や本質、真相が分かるようになったり、迷いから覚めたりすること」、あるいは「それまで分からなかったことが急に理解できるようになったり、全く新しい発想を得ることを表す」とあります。まさに、このときのサウルの状況ですよね。
実は「目からうろこ」という言葉は、この聖書箇所「目からうろこのようなものが落ちる」を略して使われるようになった言葉、新約聖書から生まれた表現なんです。

サウロの目からうろこのようなものが落ちて、サウロは元通り、視力が戻って見えるようになりました。
しかし、その見え方は以前とは違いました。
目からうろこのようなものが落ちて、それまで分からなかった「メシア、イエス」のこと、「キリスト教信仰」を理解し、全く新しい発想、ユダヤ教ではなくキリスト教信仰が与えられたのです。
イエスに遣わされたアナニアが用いられ、サウロは「聖霊で満たされ」、その場で「洗礼を受け」、クリスチャンになったのです。
最後19節には「食事をして元気を取り戻した。」とあります。これは食事をして空腹が満たされたので元気になった、というだけではありません。サウロは聖霊に満たされ、新しい歩みへと向かう力を得て、元気を取り戻した、ということです。

先週の礼拝では、神の側から私たちに近づいてくださる、とお話ししました。
それでは、せっかく私に近づいてくださった神、そばにいてくださるイエスに対して、私たちはどのように接したらいいのでしょうか?
サウロは、自分のもとに来て、語ってくださったイエスによって、一時は盲目になりました。
しかし、3日間祈り続ける中で、真剣にイエスに相対して、自分の旧約聖書理解と行動が間違っていたことを知ったのです。
そしてアナニアの助けを借りて、復活のイエスを受け入れ、再び目が開かれました。
「元どおり目が見えるようになった」とは、肉体の目のことだけを言っているのではありません。
むしろ、サウロの心の目、信仰の目が開かれたこと、「目からうろこ」が重要です。

私たちも、神の言葉を通して自分の罪が示され、自分の生き方の変更を迫られるとき、そこから目をそらしたくなります。 私たちは自分の本当の姿が見えた時、一度は盲目になるのです。
しかし、大切なのはその後です。真の神から目をそらし、盲目のまま生きるのか。
あるいは、神に向き直って、神を正しく見上げて、新しい歩みを生き直すのか。
神が近づいてくださるとき、私たちは決断を迫られるのです。 そしてそれが人生の大きな分かれ道です。
①マタイ福音書7:13-14でイエス様がこんな風に教えておられます。
7:13「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
決断して一歩前に踏み出すこと、狭い方の道を選び取ることで、人生の意味と行く先が全く変わるのです。

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