2021年06月20日「かたくなな心、柔らかな心」

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かたくなな心、柔らかな心

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 7章51節~53節

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かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 7章51節~53節

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<説教要約> 使徒言行録7章51-53節「かたくなな心、柔らかな心」
今私たちは使徒言行録7章に記されている、ステファノの説教を学んでいます。
大変に長い弁明でしたが、今日の箇所、51-53節はいよいよその結論部分です。

ステファノ51節で、(1)あなたがたは「かたくな」だ、(2)心と耳に割礼を受けていない、(3)聖霊に逆らっている、と三つのことを指摘します。 
「かたくな」と訳されているギリシャ語は、もともとは「首の硬い」という形容詞です。そこから強情とか頑固なという意味が派生しています。
聖書では「かたくな」という言葉を、神に逆らう人や民に対して使っています。

神は、心をかたくなにして神に逆らうイスラエルの民に対して、先祖アブラハム、イサク、ヤコブへの祝福の約束のゆえに、彼らをご自身の民とし、荒野の旅の間、いつも彼らと共にいて彼らを導いてこられました。しかし、イスラエルの民はたびたび心をかたくなにし、神に逆らいました。
約束の土地であるカナンに入った後も、民は、心をかたくなにして神に背を向け、偶像に頼ることを何度も繰り返したのです。神は、その都度預言者を送り、彼らをご自身のもとへ立ち帰らせようとしました。
そして最終的に、バビロン捕囚となったのです。
ステファノは、この先祖たちと同じように、あなた方もかたくなで神に逆らっていると言います。

またステファノは、「心と耳に割礼を受けていない」という言葉を、かつて預言者に与えられた神の言葉を念頭に置いて語っています。エレミヤ書を二か所引用します。
エレミヤ9:25 エジプト、ユダ、エドム/アンモンの人々、モアブ/すべて荒れ野に住み/もみ上げの毛を切っている人々/すなわち割礼のない諸民族をことごとく罰し/また、心に割礼のないイスラエルの家を/すべて罰する。 
エレミヤ6:10 誰に向かって語り、警告すれば/聞き入れるのだろうか。見よ、彼らの耳は無割礼で/耳を傾けることができない。見よ、主の言葉が彼らに臨んでも/それを侮り、受け入れようとしない。 
かつて神は、アブラハムに対して、「生まれて8日目に割礼を受けるように」と命じました。以来「割礼」は神の民としてのユダヤ人の大切な印です。ですが、真の神を知っているはずのイスラエルの民が、『心に割礼がない』、『耳に割礼がない』と言われるのです。
これは、イスラエルの民が、まるで神を知らないかのように、神に従わず、神の言葉に聞き従わない、と指摘です。
ステファノは、あなたたちは神の民の印である割礼を受けているのに、心は神から離れており、神が遣わされたイエスを受け入れず、神の言葉を語るイエスに従おうとしない、と言っているのです。
そしてそれは「神の霊である聖霊に逆らうことだ!」とも指摘します。

ステファノの指摘、告発は続きます。52節。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
「正しい方」とは、救い主、メシアのことです。ステファノは、預言者たちは、正しい方、メシアが来られると預言したが、彼らはあなたがたの先祖の手で殺されてしまった。
そして今や、正しい方、メシアであるイエス・キリストが来られたのに、今度はあなたがたが、その方を殺したのだ、と言ったのです。
そして最後53節で彼はモーセ律法に言及します。
7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
「天使たちを通して律法を受けた」とは、モーセが受けた律法、十戒のことです。そしてあなたがたは、イエス・キリストを殺したのだから、それは第5戒の戒めである「殺してはならない」を破ったのだ!!という指摘です。この結論は、何という皮肉でしょうか。
ステファノは、「イエスがモーセ律法を変えると言った」ことで審議されているのですが、実際には、あなたがたが律法を破っているのだ!!と指摘しているのです。
この結論で、民と指導者たちの怒りは頂点に達しました。そして彼らは、ステファノの殺害へと突き進むことになります。

ところで、今日の説教題は「かたくなな心、柔らかな心」です。
実際には神が人の心をかたくなにするということがあります。また、神を知っていても心がかたくなになって神から離れてしまう、ということもあります。わたしたちは、自分だけを見ていると、いつの間にか心が固まってしまいます。心の目と心の耳が固まって神から離れてしまうのです。
ですから心を柔らかくし、よく耳を澄ませて、神の言葉、神の業、神の愛を見分け、理解し、受け取れるように、整えておくことが大切です。

新約聖書、ヘブライ人への手紙にも「かたくな」という言葉が出てきますが、最後にそこを読んで、今日のメッセージをまとめたいと思います。
ヘブライ3:7-15
3:7 だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
3:8 荒れ野で試練を受けたころ、/神に反抗したときのように、/心をかたくなにしてはならない。
3:9 -10荒れ野であなたたちの先祖は/わたしを試み、験(ため)し、/四十年の間わたしの業を見た。だから、わたしは、その時代の者たちに対して/憤ってこう言った。『彼らはいつも心が迷っており、/わたしの道を認めなかった。』
3:11 そのため、わたしは怒って誓った。『彼らを決してわたしの安息に/あずからせはしない』と。」
3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――
3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――
3:15 それについては、次のように言われています。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、/神に反抗したときのように、/心をかたくなにしてはならない。」

今日の箇所は、イエスを十字架につけたユダヤ人指導者や、イエスを認めない民衆に対するステファノの弁明、証しの結論です。
イエスを正しい方、メシアと認めるか、認めないか。 ここがキリスト教とユダヤ教の分かれ道です。
そして、このことは、わたしたちにも大いに関係があります。
今朝私たちも、イエスを正しい方、メシアと信じ、イエスの十字架が私の罪のためであること、イエスの十字架のゆえに罪の赦しが与えられることを覚え、そのことを心から受け入れたいと思います。
このことを知りながら、いつまでも受け入れることを拒むならば、わたしも「かたくなな心」ということになります。
柔らかな心で、聖書のメッセージ、神の愛を受け入れ、信仰の決断、信仰の歩みへと踏み出しましょう。
また、神を知っており、神を信じていると思っているユダヤ人たちが、「心がかたくなだ」と指摘されています。私たちも、神を信じ従っていると思っていても、時に罪のゆえに心がかたくなになっていることがあります。ですから、今お読みしたヘブライ人への手紙3章13節、14節が大切です。
3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。
3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。
罪に惑わされ心をかたくなにしないように、神から離れないために、励まし合うようにと勧められています。
また、今コロナ禍で、思うように礼拝出席、教会生活ができない状況です。そういう中で、私たちはお互いに配慮し合い、励まし合うことを、忘れてはなりません。

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