2021年05月02日「信仰の父アブラハム」

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信仰の父アブラハム

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 7章1節~8節

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大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。
それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 7章1節~8節

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<説教要約> 使徒言行録7章1-8節「信仰の父アブラハム」
使徒言行録の講解説教は、6章まで終わり、今日から7章に入ります。
6章では、エルサレム教会に新たな役割を担う役員が誕生した、という話しでしたが、ステファノの名がありました。
ステファノは、食事の配慮をする、いわば執事的な役員として選ばれましたが、6章8節には「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。」と記されています。当然ながら「不思議な業としるし」とは、キリストを証しする働きです。
彼は「キリストを信じる信仰、キリストの霊である聖霊、キリストの恵み、キリストの力」に満ちていると紹介されていて、彼が特別に神の霊、聖霊を注がれた人であることが分かります。

語られた説教は、旧約聖書に示されている神の救いの御業は、イエス・キリストを通して成就、実現したことを丁寧に語っています。
彼は、この説教を、ユダヤ教の中心であるサンヘドリン、最高法院で、居並ぶユダヤ教指導者たちの前で、堂々と語ったのです。
今日は1-8節までを見ますが、ここは「信仰の父」といわれるアブラハムの物語です。

7:2-3そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、
『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。
このあたりの話は創世記11章の終わりから12章にかけて記されています。詳細については少し食い違いもありますが、ここでステファノが言いたいことは、栄光の神が、アブラハムに目を止め、彼を召しだされた、ということです。
アブラハムが神を見出したのではありません。神が、アブラハムに目を止めたのです。そしてアブラハムは、神の召しに応答して一歩踏み出したのです。

7:4それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、
7:5そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。
ステファノは、アブラハムが神に従って故郷を出た後の苦労について、短く語ります。創世記の記述を見ると、この約束の実現のため、アブラハムは本当に長いこと忍耐して待たなければなりませんでした。その間に、神は何度かアブラハムのもとへと訪れ、約束を繰り返して彼を励ましました。
創世記12章から25章にアブラハム物語が記されていますから、時間の許される方は今週読み味わってください。

7:6神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』
7:7更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
6節の『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』は、アブラハムの息子イサク、そしてその子ヤコブの時代に飢饉のためエジプトへ移住したことですね。この内容が7章9節以下でさらに詳しく記されていますので、ここでは深入りしません。
このエジプト下りの出来事によって、アブラハムの子孫はエジプトで「民族」と言われるほどになりました。
出エジプト記1:7にはこう記されています。
①出エジプト1:7 イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。
神の約束通り、アブラハムの子孫は「イスラエル民族」と言われるほど、数を増し、その後モーセに導かれてエジプトを出て、再びこの地に戻ることになりました。
注目したいのは7節の最後。
7:7『その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』という言葉です。
この場所とは、神がアブラハムを呼び出し導いた場所であり、出エジプト後にもう一度戻ってきた場所。そしてその後、エルサレム神殿が建てられた場所のことです。
このように、神は、アブラハムに与えた約束を何百年もかけて実現されたのです。ここは、真の神を礼拝するための場所です。
ですが、その後この場所はどうなったでしょうか?
ソロモンによって大きな神殿が建てられましたが、やがてバビロン捕囚、神殿の破壊ということが起こりました。その後、再びこの地に戻った人々が神殿を再建し第二神殿が建てられました。
第二神殿は、後にヘロデによって大規模な改修工事がなされ、イエスの時代には神殿礼拝が盛んでした。
しかしこの神殿もローマ帝国によって破壊され、その後は今に至るまで再建されていません。嘆きの壁だけが残されている有様です。
また、この地はユダヤ教、キリスト教、イスラム教が互いに聖地としていて、争いが絶えない場所でもあります。
では、「この場所でわたしを礼拝する」という神の約束はどうなってしまったのでしょうか。

イエスはヨハネ福音書でこのように語っておられます。
ヨハネ4:23-24
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
4:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
語った相手は、ゲリジム山の神殿で礼拝するサマリア人女性です。
サマリア人たちは、当時ユダヤ教会とは袂を分っており、ゲリジム山に作った神殿で神を礼拝していました。
その彼女に向かって、
ヨハネ4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」
ここでイエスが言いたかったことは、「礼拝は場所が重要なのではない」ということです。
ヨハネ4:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。霊と真理、聖霊と、真理であるキリストを通しての礼拝。これが真の礼拝であり、そのように礼拝するものを神は求めておられるのです。
これは今の私たちにとっても大変重要なことです。
今、私たちはコロナのために会堂に集まりにくい状況があります。
ですが、礼拝する場所は重要ではないのです。神の霊である聖霊の導きと、道であり真理であるイエス・キリストを仲保者、救い主とする礼拝。これが真の礼拝です。
もちろん一日も早く、共に一つ所で礼拝する日を祈り求めたいと思いますが、同時に礼拝の本質を私たちはしっかり覚えて、毎週の礼拝を大切にしたいと思います。

今、私たちも、アブラハムと同じように、神が目を止め、見出し、召してくださったので、礼拝の場にいます。神が私たちを恵みの中へと導いてくださり、私の神となってくださったのです。
せっかく今、このように導かれているのですから、これから先もこの恵みの中にとどまりたいと願います。

「神の恵みの中に留まる」というと、なにか抽象的な表現のように感じられるかもしれません。
ですが、そうではありません。神の恵みの中に留まるとは、神の約束、神の言葉に留まるということ。
具体的には、聖霊と、真理であるキリストを通して神を礼拝する生活に留まり続けるということです。

アブラハムの人生は波乱に富んだ歩みでしたが、最後はこのように記されています。
創世記25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。
私たちも、それぞれの人生の歩みを全うし、最後はアブラハムの子孫として、神の国の民の列に加えられたいと願います。

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