2021年02月21日「本物の神とは」

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本物の神とは

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 5章33節~42節

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聖句のアイコン聖書の言葉

これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。
以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。
そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 5章33節~42節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約>使徒言行録5章33-42節 「本物の神とは」
使徒5:33 これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。とあります。
「これを聞いた」というのですから、もちろん前からの話しの続きで、大祭司の尋問に対する使徒たちの応答の言葉です。彼らは、大祭司や議員たちの権威にもひるむことなく、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」とはっきり応えました。
そして、さらに言葉を続けています。
30-31節
5:31「 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。
5:32 わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」
最高法院はイエスの血の責任を自分たちが負わされていることを警戒しましたが、使徒たちは、イエスの血の責任は自分たちも含むイスラエル全体にあること。イスラエルの悔い改めと罪の赦しのためであること。それがキリストの福音であり自分たちはその証人であると言ったのです。

しかし、議員たちはそれを理解せず、怒りだしました。大祭司はじめ議場の人々は怒りに燃えて、使徒たちの殺害まで計画しようとしたのです。
そんな中で、ファリサイ派の律法学者で「ガマリエル」という人が立ち上がって発言しました。
ガマリエルは紀元後25~50年頃までエルサレムで教えていたという記録があります。彼はファリサイ派の中でも有名な律法の教師で、パウロもガマリエルから学んだと後々告白しています。
ガマリエルは、使徒たちを議場の外に出してから語り始めました。議会の興奮を静めて冷静な審理を行うための配慮でした。
彼は、最近起こった二つの暴動、事件を例に出して話しました。
一つはテウダの乱。もう一つは、ガリラヤのユダという人が起こした反乱についてです。
どちらの事件もヨセフォスの「古代史」に記されていますが、テウダの乱についてはルカの記述とヨセフォスの記述が年代的に合わないのではないかという指摘があります。
ですがこの時代、イスラエルはローマの圧政に苦しめられていて、それに不満を持ち、耐えかねて反乱や暴動を起こす、そういう事件が頻発したのです。しかし、指導者が殺されたり処罰されたりすると、結局従った者たちは自然消滅的に消えていきました。このような現実を確認したうえで彼はこう主張しました。
38-39節。「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」と。
ガマリエルは、あの計画や行動、つまり使徒たちが、禁じられてもキリストの福音を語り続けていることについて、介入せず、放っておくようにと忠告しているのです。
彼は、二つの事件を例に挙げ、それが単なる大衆運動、人間に端を発したものならば、指導者が死ねば、従った者たちも運動そのものもやがて消えていくことを示しました。
で、今扱っている使徒たちの事件も、指導者であるイエスが死んだのであれば同じことが言えるわけですが、ガマリエルの忠告の優れたところは39節です。
5:39 神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」
使徒たちが言うように、イエスが神の子であり、神が彼を死から復活させて今も生きているなら、そして使徒たちが語る福音が神に由来するものなら、人間がどれほど圧力をかけ、迫害したとしても、滅ぼすことはできない。それどころか、自分たちの方が、神に敵対することになるとまで語ったのです。
結論として議場は、ガマリエルの忠告を聞き入れ、使徒たちを殺すことは思いとどまりました。
しかし、使徒たちは無罪放免になったわけではありません。今回は鞭打ちの刑が執行されました。いわゆる40に一つ足りないむち打ちです。これは大変に重い刑罰で、鞭打ちの途中で息絶える人も出るほどだそうです。ですから、12人の使徒たちは鞭うたれ、背中は血だらけ、痛みのために体は極限状態だったはずです。
しかし彼らは、イエスの十字架の時のように逃げ隠れするようなことはありませんでした。
5:41-42「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」と記されています。
使徒たちは、指導者であるイエスが地上におられなくても、散り散りになることなく、福音を語り続けました。使徒たちは、5章32節で彼らが語ったように、聖霊が彼らと共に福音を証ししているという事実があることを忘れてはいなかったのです。

ではその後、この運動、キリストの福音宣教はどうなっていったのでしょうか。
初代教会から今日まで、歴史の中でキリスト教宣教は数々の迫害に合い、多くの殉教者が出ました。しかし、キリストの福音は初代教会の時から2000年以上たった今もなお、語り続けられています。
ガマリエルの言葉のとおり「神から出たものであれば、滅ぼすことはできない。」のです。
キリスト教は、人から出たものではなく、神から出たものであり、イエス・キリストはまことのメシア、救い主、本物の神だということを歴史が証明しているのです。

今、私たちの周囲にはいろんな宗教があり、いろんな神が語られ、信じられています。
しかし、それらがいつまで信じられ、語り続けられて行くでしょうか。
私たちも、ガマリエルのように、冷静に物事を判断し、人間から出たものではなく、真の神、本物の神に目を向け、信じたいと思います。
神に敵対して滅びに向かう歩みではなく、真の神を信じ従うことで、命を得る歩みを選び取ろうではありませんか。

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