2020年04月05日「イエスの死と葬り」

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イエスの死と葬り

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
ルカによる福音書 23章44節~56節

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父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ルカによる福音書 23章44節~56節

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<説教要約>
世界中でコロナウィルスの感染が拡大しています。
目に見えない、小さなウィルスによって、多くの人命が失われています。これほど私たちが死を身近に感じたことはあったでしょうか。
そういう中で、本日から受難週に入ります。「イエスの十字架と葬り」と題した説教を通して私たちに与えられる救いの道、平安を覚えたいと思います。

人の死とはいったい何なのでしょうか? 
イエスは十字架上で息を引き取られる最後の時に、大声で叫びました。
ルカ 23:46「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
イエスは、人間として地上生涯を歩まれたのですから、死も私たちと同じはずです。
イエスは、その最後の時に、ご自身の霊を父なる神にゆだね、息を引き取られました。
このことから、人間の死とは、霊が肉体から離れることといえるのではないでしょうか。
ですが、体から離れた霊は、どうなるのでしょうか? その先のことは、その人と神との関係がどうなっているかが鍵となります。
イエスと神との関係は、愛の交わりの関係だったと聖書は記しています。それは、公生涯の初めにイエスが洗礼をお受けになられた時、天が開けて 聖霊が降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた(ルカ3:22)、という出来事からわかります。イエスは、死の瞬間まで苦しまれましたが、最後は自らの霊を父にゆだね、安心して地上生涯を終えられたのです。「御手にゆだねます」とは、「神の力にゆだねます」ということです。

では、私たちはどうでしょうか?
私たちもイエスと同じように、自分の霊を父なる神にゆだねて、安心して地上での死を迎えられるでしょうか? 私と神との関係がどうなっているか、ということが問題です。
イエスの十字架は、私たちがイエスの故に神の子となるためのものです。私たちは、イエスの十字架の贖いによって、イエスに結ばれて、私たちも、神から「愛する子、わたしの心に適う者」という言葉をかけていただけるのです。
そうであれば、私たちもイエスの故に、そしてイエスと同じように、死の時に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言うことができるのです。
たとえ私の地上生涯の最後がどのような死だったとしても、父なる神は、イエスの故に、私の魂を受け止めてくださいます。それは、何と心強いことでしょうか。
「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。」詩編31:6

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