2020年11月08日「心を一つにして生きる」

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心を一つにして生きる

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 4章32節~37節

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信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 4章32節~37節

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<説教要約>
使徒言行録4章32-37節 「心を一つにして生きる」
今日の箇所、新共同訳聖書がつけてくれている小見出しは「持ち物を共有する」です。 この小見出しでは、キリスト教は私有財産を認めないのだろうか、と誤解する方がいらっしゃるかもしれません。
ですが、ここでの話のテーマは持ち物の共有ではありません。そうなる背景、信仰による一致、心を一つにして生きることがメインテーマです。

32節から見ていきましょう。
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。(4:32)とあります。 ですが、彼らは強制されて持ち物を共有したのではありません。持っている者が持っていないものことを配慮して、自分の物を差し出したのです。今の私たちで言うなら、これは、神への献げ物、献金、献品です。別の言い方をするなら、群れの中の乏しい者たちへの愛の実践でもあります。「神を愛し、隣人を愛して生きること」は、主イエスが私たちに求めておられる生き方です。
32節には「信じた人々の群れ」という言葉があります。たくさんの人たちが主イエスを信じてエルサレム教会に加えられ、その数は『群れ』というほどになったのです。使徒言行録の前の所を振り返ると、ペンテコステの後、ペトロの説教を聞いた人たちが、キリストを信じてその日三千人教会に加わった、という記事があります。2章42-43節です。そのあと、足の不自由な人を癒したことがきっかけで、エルサレム神殿でペトロとヨハネが福音を語った時にも、二人が逮捕されたにもかかわらず「男の数が五千人ほどになった。」(4:4)とあります。これだけで少なくとも8千人になりますが、これは男の人だけの数です。実際には女性も子どももいたはずですから、エルサレム教会は『群れ』というほどの数に成長していたことになります。

そして、今日のテキストから、エルサレム教会の人々の信仰生活を垣間見ることができます。ですが実はこれ以前にも信徒たちの生活について記されている箇所があります。2章44-47節です。
「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(2:44-47)
ここでも、エルサレム教会の信者たちが私有財産や持ち物を売り、それを必要に応じて分け合っていたことが記されています。その背景には、エルサレム教会に貧しい人、生活の手段を持たない人が多かったという特別な事情があります。
一つには、エルサレムには神殿への巡礼者が多くやってくるという事情があります。たまたま巡礼でやってきた人がペトロの説教を聞いてキリストを信じ、洗礼を受けてエルサレム教会に加えられる、ということがあったのです。そして彼らが自分の家に戻るまで、教会が食事の世話をする必要がありました。
あるいは、当時外国で生活しているユダヤ人(離散のユダヤ人、ディアスポラのユダヤ人)がたくさんいましたが、その人々が外国の地で高齢になって、あるいは配偶者を亡くして、晩年は神殿のあるエルサレムに戻って生活するということがありました。ユダヤ教ではそういう人々の生活の面倒を見ていたのです。そういう人が洗礼を受ければ、キリスト教会がその人々の生活の世話をすることになります。
また、エルサレム教会の中心になったのは、イエスと一緒にガリラヤから出てきた弟子たちですから、彼らも差し当たってはエルサレムに家もないし自活の手段もなかったはずです。
こういういろんな事情が加わって、エルサレム教会には日々の生活に困る人々、貧しい人々が多くいたのです。それで、財産を持っている者たちは「持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」のです。互いの生活面に対して、互いに配慮しあったのです。

ですが、2章44-47節と、今日の箇所を比べると、いくつか違う所もあります。一つは、群れの大きさです。
2章で教会は三千人くらいの規模でしたが、今朝の箇所では『群れ』というほどの数、実際には一万人以上になっていたかもしれません。以前とは教会の規模が大きく異なるのですが、それでも、信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 というのです。
彼らは一つ信仰によって結ばれて一致していました。彼らは「神とキリストへの献身」という一つの思いで結ばれていたのです。ですから、互いの為、教会のために財産のあるものは喜んでそれを捧げ、奉仕するものは喜んで奉仕したのです。彼らの信仰の一致は、3千人教会が1万人教会になっても何ら変わりがありませんでした。
ですが、教会の規模が大きくなればなるほど、お互いのことが見えずらくなる、ということはあるはずです。それで、教会の中に変化が起こりました。
2章の3千人教会の時と今朝の箇所、注意して読み比べてみると一つの違いが分かります。
2章つまり3千人教会の時には「財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」(2:45)となっていますが、今日の箇所では
「土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」(4:34-35)です。この違い、分かりますか?
はじめは、自発的に自分たちでお互いの生活を配慮し合っていたのです。けれども、教会の規模が大きくなり、互いの事情が分かりにくくなってその配慮が難しくなったのでしょう。それで教会では、今までのようにお互いに分け合うというのではなく、献げものを持ち寄って、まず使徒たちの足元に置く。つまり、教会に神への献金を献げ、献げられたものを使徒たちが正しく管理分配する、というやり方にしたのです。
教会の成長と共に、教会の働きが組織的に整えられていったということであり、また教会としての執事的な働きが組織的に行われ始めた、ということでもあります。
教会は信仰共同体だから組織は必要ない!という考え方もあるかもしれません。もちろん、信仰が最優先で、信仰の一致がなければ組織をいくら整えても無意味です。
しかし、地上の教会には、その大きさ、規模にふさわしいしくみが必要になる、ということが今日の所で教えられています。このことは、6章まで行くとさらにはっきりしてきます。
またこのようにして、福音宣教と共に、執事的な働き、教会の愛の業が充実することで、群れの中に生活困窮者がいなくなりました。お互いの弱さを支え合うことで、愛の一致が強められ、霊的な一致が教会の中で強められまれました。さらには、このように、心も体も守られて、喜んで信仰生活に励んでいる者たちの姿は周囲への証にもなったことでしょう。

4章36、37節は、自分の財産を売って教会に献金した人の例として、バルナバという人のことが記されています。何故ここに、バルナバのことだけが紹介されているのでしょうか。実はこの後、使徒言行録でバルナバの働きがクローズアップされていくのですが、その伏線としてここに紹介されているのです。ぜひこのバルナバという名前を覚えておいてください。

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