2020年11月01日「心を一つにして祈る」

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心を一つにして祈る

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 4章23節~31節

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さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。
『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、/諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、/指導者たちは団結して、/主とそのメシアに逆らう。』
事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」
祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 4章23節~31節

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<説教要約>
使徒言行録4章23-31節 「心を一つにして祈る」

今朝は、神殿で福音を語ったことをとがめられて牢に入れられ尋問されたペトロとヨハネが、釈放された後の話です。二人は、釈放されるとすぐに仲間のもとへと向かいました。
ここで「仲間」と訳されているもともとのギリシャ語は、「個人の」とか「自分自身の」という言葉の複数形なので、直訳では「自分たち自身の」という意味になります。
ここで強調されているのは、ペトロとヨハネが向かった先は、自分自身ともいえるような仲間たち。強いきずなでキリストに共に結ばれているそういう仲間のところへ戻った、ということです。
二人は、逮捕から釈放されるまでのことを彼らに報告しました。祭司長や長老たち、つまりユダヤ教指導者たちによる尋問の内容や、その時の様子などを報告したのでしょう。そして最終的に「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように」と脅され、釈放されたことを伝えました。それが4章23節です。
この知らせを聞いた仲間たちの反応が24節前半です。
使4:24a「これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。」とあります。報告を聞いた直後に、彼らは心を一つにして、神に向かったのです。誰かのリードがあったのかもしれません。ですが、一致して心を神に向け、「神に向かって声をあげた」、つまり祈ったのです。
私たちは、何か大変な状況に陥った時、あれこれ考えて打開策を探します。ですが、ともすれば、その大変な状況に飲み込まれてしまって、神に目を向けることを忘れてしまうことがあります。
ですから、この箇所、23節、24節は大切です。

24節後半から30節までに、この時の祈りが記されています。もちろん、ここでは誰かが代表して祈り、その場にいた人々がその祈りに心を合わせ、自分の祈りとしてともに祈ったということでしょう。
祈りの内容を確認しましょう。
祈りの最初は、彼らが信じている神、祈りの対象である神がどのようなお方であるか、の告白であり、確認でもあります。「あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。」
自分たちが信じている神が、人の手によってつくられた偶像などではなく、この世界のすべてをお造りになり、またこの世界を治めている力ある神であることを確認しています。
25-26節は、詩編2編1-2節の引用です。
詩編の方を見ましょう。「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち/人々はむなしく声をあげるのか。
なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して/主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。」(詩編2:1-2)この詩篇はユダヤ教の解釈でもメシヤ(油注がれた救い主)についての預言と考えられています。
そして続く27-28節は、詩編の解釈です。
この世の権威であるヘロデとポンティオ・ピラがイスラエルの民衆と一緒になって騒ぎ立ち、一緒になって神からの救い主、メシア・イエスを十字架につけて殺し、この詩篇の預言が成就した、実現したということの確認です。預言が成就するとは、それが神のご計画だったということです。
この祈りの中で、彼らは、イエスの死と十字架と復活、昇天がすべて、神のご計画、神の御手の内にあることを確認しているのです。
そのことを確認したうえで、さらに祈りが続きます。
29-30節、祈りの最後は彼らの願いです。
「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」(使徒4:29-30)
今、彼らはユダヤ教指導者たちに目をつけられ、脅されたのです。ですから、彼らは今後の福音宣教が困難なこと、それをすることで自分達に危険が及ぶことを予想したはずです。
そんな時にはまず、自分たちの身の安全を祈るのではないでしょうか? この世の権力者、ユダヤ教指導者たちや、イスラエルの人々から迫害されることなく、安全に守られるようにと。
しかしそうではなく、イエスに与えられた働き「地の果てに至るまで、キリストの証人となる」ことが十分にできるように。そのために「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と祈ったのです。
かつてはイエスの十字架のもとから逃げ去った弟子たちでした。しかし今は違います。
イエスの十字架と死、復活、昇天を目の当たりにした彼らは、神の力を知ったのです。それだけではありません。今、彼らには聖霊が与えられ、聖霊の助けがあるのです。
「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」(使徒4:31)
神は「聖霊の派遣」という形で、彼らの祈りにはっきり応えられました。彼らは、聖霊の助け、強めによって、大胆に神の言葉を語りだしたのです。

さて、今日の箇所から私たちに教えられていることは何でしょうか。
(1)神からの助けを求めよう!!
ひとつは、 困難な時にこそ、神からの助けを求めよう!! ということです。
私たちが、何か大変な状況に陥った時、最初にすることは何でしょうか? 先ず自分一人であれこれ考えて、自分が今できること、打開策を探します。ですが、自分一人で対処しようとすると、それが困難な問題であればあるほど、その状況に飲み込まれてしまって、だんだん悪い方に思いが引きずられてしまいます。そういう時には、先ず深呼吸して、この状況が神の御手の中にあること、そして、神の支え、助けがあることに心を向けましょう。そういう時に忘れてはならないのが、主にある兄弟姉妹、共に祈ってくれる神の家族です。

個人的なことですが、両親が交通事故に巻き込まれた時の経験をお話しします。今から30年近く前の出来事です。夜中に病院から電話がありました。群馬医大の事務担当者からでした。私の父が交通事故に遭って搬送され緊急手術が必要なので、すぐに来て欲しいという内容でした。車で長野県の佐久に向かう途中で事故に巻き込まれたのです。でも母が一緒だったはずなのに、母からの連絡はありません。病院の方では搬送されてきたのは父だけだというのです。私は頭から血の気が引く思いでしたが、とにかく夫と共に車で病院へと向かうことにしました。気持ちが動転していました。けれど家を出る直前に教会の牧師に電話をしていたのです。夜中でしたが、牧師は電話に対応してくださり「祈っていますから」と言ってくださいました。すると不思議と心が落ち着いて、すべて神にお委ねすることができたのを今でも覚えています。幸い母は無事で、一緒に車に乗せていた犬二匹を連れて一旦埼玉の自宅に戻り、それから病院へ引き返す途中でした。母も何を優先すべきかわからなかったのでしょう。今なら携帯電話があるので、連絡を取り合うこともできますが、当時はそれができませんでした。母より私たちが先に病院に着いて、手術の承諾書を書き、父は手術を受けることができました。
言いたいことは、そういう緊急事態の時、自分だけだとパニックになるということです。クリスチャンホームであれば状況は違うかもしれません。ですが、そういう時には遠慮しないで牧師に連絡してください。それこそ、今の時代、携帯があり、メールやLineもあります。そういう時のために牧師や神の家族がいることを忘れないでいただきたいのです。
自分のために神の家族が祈ってくれていることの心強さは、口で言い表すことができないものですから。
これが今日の箇所から教えられる一つ目のことです。

また、今日の箇所から、教会の課題を共有して一致して祈ることの必要も覚えたいと思います。
今日の聖書箇所で、彼らは福音宣教について祈っています。脅しや迫害に屈することなく「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と。
私たちも、これからの川越教会の伝道と教会の成長のために、心を合わせて祈りたいと思います。神の教会ですから、信頼して必要を求めることで、道が開けるはずです。具体的な祈りの課題はたくさんあります。毎週の週報にその時々の課題を載せていますから、それぞれの場で同じ課題を祈ることで、それが教会の一致した祈りになります。

最後にもう一つ覚えたいことがあります。それは、困難な状況や、働きが求められるとき、必ず神の助けがあるということです。使徒言行録には、人間的に考えれば困難なことが多い中で、様々な人が用いられて神の福音が広がっていき、教会が各地に立てられて行くことが記されています。
困難な中でこそ、あるいは、困難な中でなお、神の国は広がっていくのです!! そして、その働きに私たち一人一人が用いられるのです。福音宣教は神の業であることを今朝、しっかりと覚えたいと思います。

そして今日の説教の結論です。
『困難な状況と思える時にこそ、神を見上げ、神の力に依り頼もう!! 
共に祈ろう!! 祈りに励もう!! 』

祈祷
主なる神よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。
私たちは、そのような力ある方を神として頼り、祈ることができることを感謝します。
神よ、私たちの川越教会が、この地で大胆に宣教の働きを行うことができますように。この小さな群れを、私たちを、神の国の働きにお用いください。
また、群れに属する私たちが、互いに祈り合うことで神の家族としての愛の一致を強め、ともに御国へと歩みを進めさせてください。

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