2026年07月12日「突然の来訪への備え」
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突然の来訪への備え
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- 木村恭子 牧師
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マルコによる福音書 13章32節~37節
聖書の言葉
マルコ福音書13章32-37節
13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
13:34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
13:35 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
13:37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 13章32節~37節
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<説教要約> マルコ13:32-34 「突然の来訪への備え」
マルコ福音書13章は「小黙示録」、「マルコ黙示録」などと言われ、終末に向かう世界について、イエス様が話されたことがまとめて記されています。重い話でしたが、今日はその最後32-37節です。
13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
「終末のとき」を知っておられるのは父なる神様だけだと主イエスは言われます。本当に父なる神様だけしか知らないの? イエス様はご存じないの? などと、いろいろ考えてしまいますが「父と子」は一つですから、イエス様がご存じないということはないでしょう。
ですが私たちが「終末のとき」を知ろうとするのは愚かなこと。あなたたちは「知らなくていい」と主イエスは言われます。
「終末が、キリストの再臨が〇〇年〇月〇日に起こる」と予言する人が出たら、偽預言者、偽メシアです。「騙されるな!!」と、心に刻むべきです。しかし、必ず起こります。
それでイエス様は「目を覚ましていなさい」と教えておられるのです。
終末、再臨の備えは「目を覚ましていること」です。
ところで、先日、我が家に来客があったのですが、それは予定された訪問でした。
甥っ子が結婚相手を連れてくることになっていたのです。夫はその訪問を楽しみにして、玄関を掃除したり、お茶菓子の心配をしたり、いろんな準備をして心待ちにしていました。こんな風に「訪問のとき」がわかっていれば、心構えも準備もできます。
しかし終末、再臨のときはわからないのです。わからないけれど必ず起こることに備えて、主イエスは、「目を覚ましていなさい」と言われるのです。
34節から36節に、一つのたとえが示されています。旅人と門番、そして僕が登場するたとえです。
旅人が主人とすると、門番は、僕たちは、誰? でも、譬えばなしなので、一対一の対応を考える必要はありません。
この譬えを用いてイエス様が門番に、あるいは僕に求めているのは二つのことです。
「主人が再び来られることを忘れてはいけない」と、「割り当てられた仕事を忠実に果たすこと」。
①「主人が再び来られることを忘れてはいけない」とは、
終末とキリストの来臨がある、ということを心に留めて生きるように、ということ。
キリストの十字架と復活を覚え、罪からの救いを感謝し、毎週の礼拝を中心に、神に従って生きるという、通常の信仰生活を続けることです。
ある説教集にはこんな言葉が記されていました。
「気を付けて、目を覚ましているということは、心がいつもそこにあるということです。日曜日だけ、あるいは特定の集会のときだけ、覚醒を促されるのでは、目覚めているとは言えません。それは、時々目を覚ます、寝つきの悪い眠りであるにすぎません。」と。
ちょっと皮肉ですが、「目を覚ましている」とは、主なる神を仰ぎ見て、信仰生活を続けるということでしょう。
②任された務めに忠実であること
もう一つのことは、主人は僕たちにそれぞれ仕事を任せて出かけています。ですからそれぞれの務め、責任はあるのです。家庭で、職場で、社会で、教会で、一人一人に委ねられた務めを、キリスト者として忠実に果たすこと。これも大切なことです。終末を待つとは、ただぼんやり待機することではなく、今日与えられた務めを誠実に果たすことです。
終末を待つ具体的な姿勢として、二か所聖書を開きます。
ペトロⅠ4:7-8 「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」
待つ間、よく祈りなさい、心を込めて愛し合いなさいというのがペトロの勧めです。
ヤコブの手紙5:7-9「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。」
ヤコブは、忍耐、待つ、心を固く保つ、不平を言わない、姿勢を教えています。
最後の37節では、「目を覚ましていなさい」というイエス様の勧告は、主イエスを信じるすべての教会、あらゆる人々に対して語られるべきだと、イエス様は念を押しておられます。
本日の説教題は「突然の来訪への備え」ですが、それは「目を覚ましていること」。具体的には、終末の徴を追いかけるのではなく、「主を主として覚え、与えられた務めに忠実に生きること」。信仰生活を日々整えて、祈りをもって主の再臨を待つことです。
これは、終末の備えですが、地上生涯の「死」への備えも同じです。
私たちの地上生涯の死への備えも、「主を主として覚え、与えられた務めに忠実に生きること」に尽きるのです。
「創立60周年記念宣言」の3.終末の希望の中で迎える信者の死 を朗読して祈ります。
3.終末の希望の中で迎える信者の死
(1) 死とその意味
罪と死
罪の支払う報酬は死です。最初の人アダムの罪過は、神との交わりの断絶である霊的死と、肉体の死と、裁きとしての永遠の死とを全人類にもたらしました。
キリストと命
しかし、神の賜物はキリストにある永遠の命です。信者であるわたしたちは、体も魂も、生きている時も死ぬ時も、キリストのものであり、罪の刑罰としての死と呪いから解放されています。キリストを死者の中から復活させた方は、わたしたちの死ぬべき体をも生かしてくださいます。
信者にとっての死の意味
わたしたち信者にとって肉体の死は、罪と悲惨、この世の労苦と涙からの完全な解放、キリストのみもとに召してくださる神の愛のしるし、永遠の命のより豊かな祝福への入口です。しかし、今なお罪と弱さを持つわたしたちは、死を前にして恐れさえ抱く者です。死は、人生の最後の試練です。わたしたちは、復活の希望と慰めのゆえに、死を覚えてますます謙遜になり、いっそう堅くキリストに依り頼み、賜物としての日々を感謝して歩みます。
(2) 死後の状態
信者の死後の状態とその祝福
死の時、わたしたちの魂は完全にきよくされ、ただちに頭であるキリストのもとに引き上げられます。天上の勝利の教会へ移された魂は、地上にあるよりもさらに豊かな、キリストとの栄光の交わりにあずかり、先に召された聖徒たちとの愛の交わりを喜び、彼らと共に神の御顔を仰ぎます。同時に、体は、キリストに結び合わされたまま墓の中に休息し、栄光の神の国における体の完全な贖いと天地の完成を待ち望みます。
わたしたちは、幼少のうちに世を去った契約の子たちも、恵みの契約に対する神の真実のゆえに、天上の勝利の教会に移されていることを信じて疑いません。
誤った教え
わたしたちは、死後の状態について聖書が啓示していない事柄に関し、聖書の外で憶測に基づく判断をせず、終わりの日に明らかにされることを謙遜に待ちます。
わたしたちは、死後における魂の消滅や眠り、煉獄、輪廻、転生、また慰霊などの非聖書的な教えと行為を認めません。
終末とキリストの再臨を待ちつつ、しかしその前に地上生涯の死を迎えたとしても、地上生涯を信仰をもって生きた者は、キリストに結ばれて再び生きるのです。
帰ってきた主人は、主の民に対しては憐れみ深く接してくださいます。
ヨハネ14:1-3をお読みします。
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。