2026年01月25日「主と共に、支え合って歩む」

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一コリント12章12-26節
12:12 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
12:13 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
12:14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
12:15 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
12:16 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
12:17 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
12:18 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
12:19 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
12:20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
12:21 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
12:22 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
12:23 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
12:24 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
12:25 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙一 12章12節~26節

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説教要約 Ⅰコリント12:12~26「主と共に、支え合って歩む」

2026年度の年間テーマは「主と共に、支え合って歩む」、聖句はⅠコリント12:12から、「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つである」としました。
そこで、コリントの信徒への手紙Ⅰ12:12~26をテキストに、今年の川越教会のテーマを考え、そして一年の歩みを思い描きたいと願っています。

12章には「霊的な賜物」という小見出しがつけられています。「賜物」という言葉、一般にはあまり使われていない、いわば教会用語です。一般の辞書には ①賜ったもの。いただきもの。②人からもらったのではなく、自分が努力の結果として得たもの、結果として生じたよいこと。とあります。
しかし聖書に出てくる「賜物」という言葉は、これとは違います。

12章4節、5節、6節を見ると、賜物、務め、働きは、聖霊によって、神から与えられるもの。それらが一人一人に与えられるのは、同じ霊、同じ主、同じ神によることも教えられています。人からではなく、神が与えるものです。7節には「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」とあります。個人のためでなく、全体の益、つまり神の教会全体の益のために、神が与えるのです。
聖書で使われている「賜物」という言葉。それは、神が一人一人に与えるものであり、与える目的は全体の益のため、教会全体の益、そして神の国の益となる、ということです。もちろん、与えられている賜物が神の国の益になるのは素晴らしいことです。ですが、その場合、わたしの益にはならないのでしょうか?

イエス様は、自分を無にして、僕の身分になり・・・へりくだって、十字架の死に至るまで従順を貫かれました。自分の利益を求めず、罪人を救うためにご自身をおささげになりました。そして、わたしたちキリスト者も、イエス様に倣う生き方が求められていますから、自分より他者を優先するように、ということになります。使徒パウロも「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(一コリント10:24)と教えています。
では、クリスチャン一人一人、個人の幸い、個人の益は二の次、ということでしょうか?

そのことを考えるとき、今日の聖書箇所が参考になります。まず、考え方の前提は13節「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」
イエス・キリストの十字架による救いを信じて、洗礼を受けたキリスト者は、洗礼を通してキリストに結ばれ、神の救いに入れられた者です。キリストに結ばれるとは、キリストの体に連なるということです。
個々のキリスト者が皆、キリストに結ばれて一つ体となったのです。このことをパウロは「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」と教えています。これが、大前提です。

その上で、12章12節以下で、クリスチャン一人一人が「キリストの体」のそれぞれの部位にたとえられ説明されています。 一人一人がキリストの体であるというとき、ある人は手、ある人は足、ある人は目、ある人は耳、鼻、口、眉毛やまつげ、手や足の指だって必要です。そして、足が手の代わりをすることはできないし、手の指が足の指の変わりはできません。つまり、個人にはそれぞれ異なる役割(賜物)が与えられるのです。それぞれに固有の役割があり、働きがあり、どんなに小さな部分も大切です。
12:21-22 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
キリストの体に結ばれているすべての人が、キリストの体の存続のために必要だと教えられているのです。
さらに、24節後半 神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それぞれに与えられている賜物が異なるので、皆が同じ形で役割を果たすわけではありません。同じ奉仕は求められていない、ということでもあります。しかし、聖霊が、賜物を分け与えていてくださり、体全体を組み立ててくださるわけですから、全体としては完結できるようにされています。
全体の益というとき、キリストの体全体の益ということであり、一人一人はその体に結ばれて、罪赦され、救いにあずかるのですから、全体の益は同時に一人一人の益でもあるのです。
また、個人の成長や幸福、個人の益は、体全体(共同体)の健全さ、全体の益と直結しています。
一つの部位が苦しめば、体全体が苦しみ、一つの部位が尊ばれれば、全体が喜ぶという関係性です。
12:25-26 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

全体主義のように個人が犠牲になることを教えているのではありません。
一人一人の存在と価値を高く評価し、そのうえで、互いのために配慮し、支え、補い合うことを教えているのです。
12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
「愛によって互いに仕え合うこと」が、ひいては全体の益となる、そういう関係性です。
同じことをパウロは、別の箇所でこんな風に表現しています。
ガラテヤ6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。

2026年の川越教会の年間テーマは「主と共に、支え合って歩む」。聖句はⅠコリント12:12から、「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つである」としました。
川越教会という教会全体の益のために、教会の成長のために、互いに配慮して支え、仕え合いましょう、ということです。
そのためにまず、それぞれが主から与えられている賜物をもう一度考え、確認してください。
川越教会という、キリストの体の、どの部分を担っていくのかを考えて欲しいと思います。
与えられているものはいつも同じではないはずです。年齢によって、信仰の歩みの中で、その時の生活環境によって、変わるはずです。また、特に高齢の方々は、実働だけが奉仕ではない、ということも覚えましょう。
それぞれが今与えられている賜物を考えて、今年の自分に、キリストの体としてどんな役割が与えられているのか、どのようにしてその働きを担うべきかを決断してほしいのです。
一人一人がそんな風に、キリストの体のある部分、川越教会のある部分を担うことは、教会全体の益となりますが、同時に一人一人の信仰の成長となり、神の祝福が備えられて、それぞれの益となります。
信仰によってイエス・キリストに結ばれて、主と共に歩み、
互いに支え合い、仕え合ってこの年を歩んでいきましょう。
そういう一人一人を神は祝福し、恵みを与えてくださるはずですし、同時にそれが川越教会の祝福となり、教会全体の益となるのです。
新しい年、共に苦しみ、共に喜ぶ歩みを力強く進めていきましょう。
12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

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