2025年11月30日「目を覚まして待つ」

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マタイ24:36-44
24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
24:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 24章36節~44節

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説教要約 マタイ24章36-44節 目を覚まして待つ

今日からアドベント、待降節に入ります。待降節は、キリストの降誕を待つとき。
イエス様が人として地上においでになるのを待つときです。
旧約聖書には、救い主、メシアが与えられるという預言があります。そして、多くのユダヤ人たちはこのメシア預言を心に刻んで生きてきたのです。しかし、地上に来られた神の御子イエスを、預言の成就だと受け止めることができませんでした。ですから、彼らはいまだにメシアを待ち続けています。
一方で、御子イエスを旧約預言の成就と受け入れ、イエスの十字架と死、そして復活の意味を悟り、信じた者たち、新約のキリスト者は、「神の子となる資格」、「永遠の命の祝福」を手にしました。
しかし、神の約束はここで終わりではありません。新約聖書には、さらなる約束、預言が示されています。
ヨハネ黙示録22:20 以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
クリスマスの夜、地上に来られた神、人となられた神の御子は、ご自身を通して神をお示しになり、最後は十字架にかかって死に、三日目に復活し、40日後に天にお帰りになりました。この方が、「わたしはすぐに来る」と言い残しておられるのです。イエス様が再び来られるとき、その時が終末です。救いにあずかるものにとっては恵みのとき、神の国が完成する時ですが、罪ある者にとっては裁きのときであり、その先にあるのは永遠の死です。
本日のテキストは、キリストの再臨を待つ姿勢について、イエス様が教えている箇所です。

24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。「その日、その時」とは、イエス様が再臨なさって、民が裁かれるとき。あるいは神の国が完成するときのこと。その時がいつなのかは、「ただ、父だけがご存知である」とイエス様は言っておられます。でも父がご存じなのに、イエス様が知らないということがあるでしょうか。ギリシャ語で「知る」という言葉は、知識を表すよりも、関心と興味、愛情を意味する言葉だそうです。
ですからここは、もちろんイエス様はご存知であるけれど、しかし、その時期については「関心がない」「興味がない」ということ。弟子たちも、私たちも、知らなくてよい、と言いたいのです。

では、知らないから、なにもしなくていいのでしょうか。37-39節でノアの洪水の話が例にひかれています。神はノアに洪水の予告をなさり、ノアはそれを当時の人々に告げ知らせたにもかかわらず、人々は全く意に返さなかったのです。
24:39「 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。」とありますが、実際には、ノアの口から神の警告が人々に伝えられていました。また、ノアは陸地の上で大きな箱舟を作り、その中に動物まで入れて、洪水への備えをしていました。人々はそれを見ながらも、神を畏れる歩みへと立ち帰ることをしなかったのです。
イエス様は、人の子が来るとき、イエス様が再臨して裁きと神の国が完成する時も、これと同じだと言います。24:39b「人の子が来る場合も、このようである。」といって、40-41節を語ります。
40節は、二人の人が一緒に畑で働いているとき、人の子が再臨したなら、神のことばを信じている人はイエス様と共に連れて行かれ、そうでないもう一人は、そのまま畑に残される。
一緒に臼をひく仕事をしていた二人の女性も、同じです。
人は最後の審判でキリストの前に立つとき、みんな一人なのです。神のことばを信じて神に目を向けている人は、イエス様と共に連れて行かれ、そうでない人は、その場に残されるのです。
その日、その時には、一瞬にして神のことば、イエス・キリストを信じている人とそうでない人が分けられる、ということを、たとえで語っています。

「その日、その時」は、私たちに隠されています。
24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
つまり、目を覚ましている人にとっては、その日その時は、不安な時ではなく、むしろ約束の成就のとき、恵みのときなのです。

ところで、「その日、その時」つまりキリストの再臨は、イエス様が昇天して2500年以上たった今も、実現していません。
では、その間に地上生涯を終えた人はどうしているのでしょうか。聖書は、イエス様の再臨前に地上生涯を終えた人の魂は、神のもとで「その日その時」を待っていると教えます。
つまり、イエス様の再臨前に地上で死を迎える人々にとって、「その日その時」とは、それぞれの死のとき、と言い換えることができるわけです。
24:43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
24:44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
ここは、私たち一人一人の地上生涯の死のときを当てはめて読むことができます。
地上生涯の終わり、肉体の「死」は、年齢に関係なく、神の計画と配慮の中で一人一人定められています。
それがいつなのか、私たちには隠されています。
「だから、あなたがたも用意していなさい。地上生涯の死は思いがけない時に来るからである。」
そういう風に、ここを読むこともできるわけです。
しかし、逆に「用意していれば、地上生涯の死が思いがけない時に来ても慌てる必要はない」ということでもあります。
では、何をどう用意しておけばいいのでしょうか。
イエス・キリストの再臨、そしてもしかしたらその前に、それぞれの地上生涯の死が訪れるかもしれません。どちらが先であったとしても、準備すべきことは同じです。
「だから、眼を覚ましていなさい。」

ノアの箱舟のときの、ノアと家族以外の人々のように、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり、この世の諸々の生活にだけ目を向けて生きているのでは、見えてこないことがたくさんあります。
しかし、目を覚まして、心を神に向けて、日々を送っているなら、見えてくるものがあります。
今朝、神は、私たちにも「目を覚ましていなさい」と言われます。
毎日同じように過ぎていく生活の中で「目を覚ましている」には、どうすればいいのか。
今、わたしに求められていることは何なのか。それぞれ考えてみてください。

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:1-11をお読みします。
兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。

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