Youtube動画 礼拝全体を録画した動画を公開しています。 Youtubeで直接視聴する 音声ファイル 礼拝説教を録音した音声ファイルを公開しています。 再生できない方はこちらをクリック 聖書の言葉 ヨハネ16:23-24 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。 16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネによる福音書 16章23節~24節 メッセージ <説教要約> ヨハネによる福音書16章23-24節「聖霊に助けられて祈る」最初にお読みしたヨハネ福音書16章23-24節を確認しましょう。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」「その日には」もう何も尋ねる必要はなく、ただ「イエス・キリストの名によって」願うだけで、父が与えてくださる、とイエス様は言われました。では「その日」とはいつのことでしょうか? そのことは今読んだ箇所の少し前、ヨハネ16章13-14節に記されています。ヨハネ16:13-14「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。」ここで「その方」とは、「真理の霊」、「聖霊」のことです。イエス・キリストが十字架~復活~を経て天にお帰りになった後、あなた方の近くにいてあなた方を助ける方として聖霊が与えられる、とイエス様は弟子たちに約束なさったのです。聖霊が与えられるという約束は、ペンテコステのときに成就、実現しました。その様子は使徒言行録2章以下に記されています。実に、聖霊が与えられた弟子たちは、聖霊に助けられ、福音の理解が深められ、迫害の中でも大胆にみ言葉を語ることができるように守られたのです。キリストの福音は聖霊の働きに支えられ、ユダヤ、サマリヤから世界各地へと伝えられ、広められて行ったのです。ですが、この聖霊の働きは、初代教会時代だけのこと、昔々の特別な出来事ではありません。今も、聖霊はイエス・キリストを信じる人々に与えられ、福音宣教の働きと、信仰者一人一人の信仰の歩みをいろんな形でサポートしています。そのサポートの一つが、信仰者の祈りを助けるということです。聖霊が祈りをサポートする、ということについて、ローマの信徒への手紙8章26-27節を見ましょう。ローマ8章26-27節「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」これは、キリスト者に対して語っているパウロの励ましの言葉です。罪赦されて、神の恵みの中で御国の希望をもって生きている信仰者であっても、地上ではなお弱さが残っていると、パウロは語ります。特にその弱さは「どのように祈ったらよいかわからない」ほどだというのです。そういう弱さを持ったわたしたちを、聖霊が助けてくださると。ここで使われている「助ける」というギリシャ語は、「共にいて、必要な時に取って代って重荷を引き受けて下さる」という意味を持ちます。つまり、どう祈ったらよいかわからない私、祈れない私に取って代って、聖霊が「言葉にならない深いうめき」をもって、「神の御心に従って、執り成してくださる」。祈れないとき、わたしたちは心に苦しさを覚えます。しかし、その私の心の苦しさを聖霊が引き受けてくださり、苦しい思いを神に届け、神との間を執成してくださる。それが聖霊のお働きの一つなのです。ここでウェストミンスター大教理問答 問182を見ましょう。RCJの公認訳です。問182 御霊は、わたしたちが祈るのをどのように助けてくださいますか。 答 わたしたちは本来何を祈るべきかを知らないため、御霊は、誰のために、何を、またどのように祈るべきかを理解で きるようにしてくださることによって、さらに、この祈りの義務を正しく果たすのに必要な理解・感情・恵みの賜物を(すべての人に、いつでも、同じ程度に、というわけではありませんが)、わたしたちの心の内に生じさせ、活気づかせることによって、わたしたちの弱さを助けてくださいます。問182にあるように、「わたしたちは本来何を祈るべきか知らない」のです。もともとわたしたちは、何に目を向け、何を祈ればいいのかなんて、わからなかったのです。しかし、聖霊がわたしたちの心に働いて、自分だけでなく、自分の周囲やもっと広い範囲、特に、神の教会の神の家族に目を向けさせてくださり、「誰のために、何を、またどのように祈るべきかを理解できるようにしてくださる」のです。それは、まず御言葉を通して教えられます。聖書の中にいろんな人の祈りが記されています。あるいは、詩篇は旧約時代の神を信じる人々の祈りです。また礼拝の中での祈りや、祈祷会で教会の方々とともに祈る中で、祈りについて教えられるのです。最後にエフェソ6:18-20の、パウロの祈りを見ましょう。伝道者パウロは、エフェソ教会の人々への手紙の中に、こんな祈りを記しています。エフェソ6:18-20「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。」パウロは「霊に助けられて」祈るように、と勧めます。これは今までお話ししてきたとおりですね。さらに、「絶えず目を覚まして根気よく祈り続ける」ことが求められています。これもなかなか難しいことですが、そこにも聖霊の助けがあります。また、パウロは、「わたしのためにも祈ってください」と、自分のための祈りを大胆に求めています。もちろん、福音宣教の働きのため、伝道が進むように、ということが目指すところです。当然、パウロは自分でも福音宣教の働きのため、大胆に福音を語れるようにと神に祈っているはずですが、それでも彼は、主にある兄弟姉妹に、同じ祈りを求めています。何かの請願署名のように、たくさんの人の賛成や同意があれば、神が願いを聞いてくれる、ということでしょうか? そうではありません。神はほんの小さな祈りにも目を留めてくださるし、み旨に適う祈りであれば、必ず聞きあげてくださいます。ここでは、共に課題を覚えて、教会の祈りとして共に祈りつつパウロの働きを支えて欲しい、という願いがあります。思いを一つにすることが重要なのです。これは、わたしたちの教会も同じです。私たちの教会にも、大切な祈りの課題があります。それを根気強く、一緒に祈っていきましょう。また、牧師や教会役員のためにも祈ってくださるよう、お願いします。聖霊に助けられつつ、これからの教会の歩みを覚えて、また教会に属する一人ひとりの信仰と生活のために、共に祈っていきましょう。 関連する説教を探す 2025年の日曜朝の礼拝 『ヨハネによる福音書』
<説教要約> ヨハネによる福音書16章23-24節「聖霊に助けられて祈る」
最初にお読みしたヨハネ福音書16章23-24節を確認しましょう。
「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
「その日には」もう何も尋ねる必要はなく、ただ「イエス・キリストの名によって」願うだけで、父が与えてくださる、とイエス様は言われました。
では「その日」とはいつのことでしょうか? そのことは今読んだ箇所の少し前、ヨハネ16章13-14節に記されています。
ヨハネ16:13-14「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。」
ここで「その方」とは、「真理の霊」、「聖霊」のことです。
イエス・キリストが十字架~復活~を経て天にお帰りになった後、あなた方の近くにいてあなた方を助ける方として聖霊が与えられる、とイエス様は弟子たちに約束なさったのです。
聖霊が与えられるという約束は、ペンテコステのときに成就、実現しました。
その様子は使徒言行録2章以下に記されています。実に、聖霊が与えられた弟子たちは、聖霊に助けられ、福音の理解が深められ、迫害の中でも大胆にみ言葉を語ることができるように守られたのです。キリストの福音は聖霊の働きに支えられ、ユダヤ、サマリヤから世界各地へと伝えられ、広められて行ったのです。
ですが、この聖霊の働きは、初代教会時代だけのこと、昔々の特別な出来事ではありません。
今も、聖霊はイエス・キリストを信じる人々に与えられ、福音宣教の働きと、信仰者一人一人の信仰の歩みをいろんな形でサポートしています。
そのサポートの一つが、信仰者の祈りを助けるということです。
聖霊が祈りをサポートする、ということについて、ローマの信徒への手紙8章26-27節を見ましょう。
ローマ8章26-27節「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」
これは、キリスト者に対して語っているパウロの励ましの言葉です。
罪赦されて、神の恵みの中で御国の希望をもって生きている信仰者であっても、地上ではなお弱さが残っていると、パウロは語ります。
特にその弱さは「どのように祈ったらよいかわからない」ほどだというのです。
そういう弱さを持ったわたしたちを、聖霊が助けてくださると。
ここで使われている「助ける」というギリシャ語は、「共にいて、必要な時に取って代って重荷を引き受けて下さる」という意味を持ちます。つまり、どう祈ったらよいかわからない私、祈れない私に取って代って、聖霊が「言葉にならない深いうめき」をもって、「神の御心に従って、執り成してくださる」。
祈れないとき、わたしたちは心に苦しさを覚えます。
しかし、その私の心の苦しさを聖霊が引き受けてくださり、苦しい思いを神に届け、神との間を執成してくださる。それが聖霊のお働きの一つなのです。
ここでウェストミンスター大教理問答 問182を見ましょう。RCJの公認訳です。
問182 御霊は、わたしたちが祈るのをどのように助けてくださいますか。
答 わたしたちは本来何を祈るべきかを知らないため、御霊は、誰のために、何を、またどのように祈るべきかを理解で きるようにしてくださることによって、さらに、この祈りの義務を正しく果たすのに必要な理解・感情・恵みの賜物を(すべての人に、いつでも、同じ程度に、というわけではありませんが)、わたしたちの心の内に生じさせ、活気づかせることによって、わたしたちの弱さを助けてくださいます。
問182にあるように、「わたしたちは本来何を祈るべきか知らない」のです。
もともとわたしたちは、何に目を向け、何を祈ればいいのかなんて、わからなかったのです。
しかし、聖霊がわたしたちの心に働いて、自分だけでなく、自分の周囲やもっと広い範囲、特に、神の教会の神の家族に目を向けさせてくださり、「誰のために、何を、またどのように祈るべきかを理解できるようにしてくださる」のです。
それは、まず御言葉を通して教えられます。聖書の中にいろんな人の祈りが記されています。あるいは、詩篇は旧約時代の神を信じる人々の祈りです。
また礼拝の中での祈りや、祈祷会で教会の方々とともに祈る中で、祈りについて教えられるのです。
最後にエフェソ6:18-20の、パウロの祈りを見ましょう。
伝道者パウロは、エフェソ教会の人々への手紙の中に、こんな祈りを記しています。
エフェソ6:18-20「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。」
パウロは「霊に助けられて」祈るように、と勧めます。これは今までお話ししてきたとおりですね。
さらに、「絶えず目を覚まして根気よく祈り続ける」ことが求められています。これもなかなか難しいことですが、そこにも聖霊の助けがあります。
また、パウロは、「わたしのためにも祈ってください」と、自分のための祈りを大胆に求めています。
もちろん、福音宣教の働きのため、伝道が進むように、ということが目指すところです。
当然、パウロは自分でも福音宣教の働きのため、大胆に福音を語れるようにと神に祈っているはずですが、それでも彼は、主にある兄弟姉妹に、同じ祈りを求めています。
何かの請願署名のように、たくさんの人の賛成や同意があれば、神が願いを聞いてくれる、ということでしょうか? そうではありません。
神はほんの小さな祈りにも目を留めてくださるし、み旨に適う祈りであれば、必ず聞きあげてくださいます。
ここでは、共に課題を覚えて、教会の祈りとして共に祈りつつパウロの働きを支えて欲しい、という願いがあります。思いを一つにすることが重要なのです。
これは、わたしたちの教会も同じです。私たちの教会にも、大切な祈りの課題があります。それを根気強く、一緒に祈っていきましょう。
また、牧師や教会役員のためにも祈ってくださるよう、お願いします。
聖霊に助けられつつ、これからの教会の歩みを覚えて、また教会に属する一人ひとりの信仰と生活のために、共に祈っていきましょう。