約束の実現
- 日付
- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書 ヨハネによる福音書 16章7節~15節
【新共同訳】
ヨハネ福音書
16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 16章7節~15節
今日はペンテコステ礼拝ですので、「聖霊」について目を向けたお話をいたします。
今朝は、まず、「聖霊を与える」というイエス様の約束に目を向け、実際に与えられた時のことを覚え、さらに聖霊の働きについてみていきます。
まず、聖霊を与えるというイエス様の約束は、ヨハネ福音書に何か所か記されています。
今朝は16章から「弁護者を送る」というイエス様の約束を確認します。
7節「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」
ここで「弁護者」と言われているのが「聖霊」のことです。
イエス様は、十字架のときが近づくと、弟子たちにご自身の死後について、正確には昇天後について、語られました。
そして、聖霊(ここでは弁護者)を送ることを約束なさいました。
さらに、イエス様自身は弟子たちのもとを去っていが、それがあなた方のためになる、と言われます。
弟子たちにとって、イエス様が地上で、手の届くほど近くにいてくださり、直接教えを受けることができることは、とても心強いことだったはずです。
しかし、イエス様はご自身の十字架を覚悟していましたから、弟子たちのもとから去っていくときのことを見据えての、この話です。十字架、復活、昇天によって、弟子たちから離れたあと、別の「弁護者」つまり、聖霊をあなた方に送る、と、イエス様は約束しておられたのです。
この時、弟子たちはこの話の意味が分かりませんでした。それでも、イエス様は、話をお続けになりました。
しかし弟子たちは、後で思い返して、この時イエス様は大切なことを語っておられたことが分かったのです。ですから、ヨハネはこの時の話を福音書にきちんと記しています。
イエス様が話されたことを私たちも確認しましょう。
8節以下に、2つのことが記されています。
8節の終わりに「世の誤りを明らかにする」とあります。これが、聖霊の一つ目の働きです。
聖霊によって明らかにされる世の誤りとは、
9節「罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと」聖霊の働きによって、世の人々がイエス様を信じないこと、信じようとしないことが明らかになる。言葉をかえるなら、聖霊の働きによって、主イエスの福音を信じる者と信じない者とが明らかにされる、ということです。
10節「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること」キリストの十字架と復活、昇天によってキリストの義、キリストの救いが明らかにされますが、それが聖霊の働きだ、とイエス様は言われます。
11節「裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」ここでの「この世の支配者」は、人間界の為政者のことではなく、この世界で力をふるっている「サタン」のこと。聖霊が派遣されると、十字架で敗北したサタンが、やがて終わりの日に裁かれることになる。それも、聖霊の働きだとイエス様は教えています。
まとめると、聖霊の働きによって、キリストの義、つまりキリストの救いが明らかになり、信じる者と信じない者とがはっきりする。さらに、サタンが裁かれる。ここまでが、この世に対する聖霊の働きです。
さらに13節に以下で、弟子たち、信仰者に対する聖霊の働きが記されています。
13節「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」
「聖霊」が派遣されると、「あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」です。ところで、「真理」とは何を指しているのでしょうか?
ヨハネ 14:6 でイエス様はこう語っています。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」つまり、「真理」とはイエス様ご自身であり、キリストの言葉です。
聖霊は、弟子たち、キリストを信じる者に「真理」を悟らせるのです。
イエス様が天にお帰りになった後、イエス様を示して、イエス・キリストを信じる信仰へと導いてくれるのが真理の霊、キリストの霊である「聖霊」の働きです。
イエス様は、十字架の直前に、弟子たちに聖霊について、大切なことを教えられ、このように働く聖霊の派遣を約束しておられたのです。
そうして、イエス様が復活なさってから50日目、昇天されてから10日後に、いよいよ聖霊が降るというペンテコステの出来事が起こりました。イエス様は約束された通り、聖霊を送ってくださったのです。
それが使徒言行録2章に記されている記事です。
使徒2:1~4「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
この時、ユダヤは五旬節の祭りで多くの人々が集まっていました。多くの人がその場に居合わせて、この不思議な光景を見たのです。
しかし、使徒言行録を読み進めていくと、「聖霊が降る」ということが起こったのは、このペンテコステときだけではありません。
使徒言行録には信仰者が「聖霊に満たされる」という記事が何度も記されています。
何か所か、例に挙げてみましょう。
神殿で説教していたペトロが捕らえられ、議会で取り調べを受けたとき、ペトロは「聖霊に満たされて」キリストの十字架と復活を語りました。(使徒4:8)
キリスト教会最初の殉教者であるステファノは、石打にされる直前にこう言っています。
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見え』と言った。」(使徒7:55)
パウロとバルナバは、伝道旅行の途中、ピシディア州のアンティオキアで迫害にあい町から追われるようにして出て行ったのですが、しかし、彼らの伝道でキリストを信じた弟子たちについてはこのように記されています。「他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(使徒13:52)
このように、聖霊はペンテコステのときだけでなく、その後もずっと、主イエスの弟子たちに注がれ、弟子たちは聖霊に満たされて主の業を行いました。
さらにもう一つ、聖霊の大切な働きを見たいと思います。それは、神の言葉と共に働く、聖霊の御業です。
使徒言行録に、ローマの百人隊長コルネリウスと家族がペトロの話を聞いて信仰を持つに至った話が記されていますが、このときには、こんなことが起こりました。
使徒10:44-47「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、『わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか』と言った。」
ここでは、ペトロがキリストの福音を語ったときに、そのことばと共に聖霊が働いて、聞いている人々は心動かされ、イエス・キリストを信じる心が与えられ、洗礼へと導かれたのです。
み言葉と共に働く聖霊については、別の箇所にも記されています。
Ⅱテモテ3:16 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」ここでは、文書として整えられ始めてた「聖書」について、聖書が書き記されたこと自体、聖霊の働きのもとに書かれたのだ、という証言です。「義に導く」は、最初に見た、ヨハネ16:18にも同様の記述がありました。
キリストの十字架と復活、昇天によってキリストの義、キリストの救いが人の心に明らかにされていく、その働きが聖霊の働きです。こうして聖霊によって整えられていった「聖書」が今も「人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練」に用いられています。
さらに聖霊は、信仰を与えるだけでなく、信仰者の生涯にも働きます。
テトス3:5-7「神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」
聖霊は人の心に働いて、まことの神を示し、罪を示し、悔い改めへと導き、キリストを信じる信仰を与えます。
人の心に働いて、「イエス・キリストは私の主、救い主」と告白できる心に変えてくださいます。
今も、イエス・キリストを信じて洗礼を受ける人々が生まれていますから、間違いなく聖霊は生きて働いています。
聖霊は、わたしたちに信仰をあたえ、キリストの救いに結びつけ、信仰の歩みの導き、地上生涯の歩みを、神の国、天国にまで導いてくれるのです。
わたしたちの教派で洗礼を受けるとき、6つのことを誓約しますが、その4番目が、聖霊への信頼です。
「あなたは今、聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストの僕としてふさわしく生きることを、決心し約束しますか。」
「聖霊の恵み」に信頼すること、これが今、わたしたちに求められていることです。
わたしたちは、自力で、自分の信仰の力で、信仰の歩みを最後まで歩みとおすことは不可能です。
聖霊の力、聖霊の働きに信頼して、より頼んで、信仰の歩みを進めることで、私たちの信仰は地上生涯の最後まで、守られて、永遠の命を受け継ぐことができるのです。
この聖霊の働きに信頼して、わたしたちも信仰の歩みを進めていこうではありませんか。