2024年04月14日「悔い改めの洗礼」

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神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 1章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> マルコ1章1-8節 「悔い改めの洗礼」
今日はマルコ福音書1章2節から8節までを見ていきます。
2節、3節は旧約聖書、預言書からの引用です。
2節に「預言者イザヤの書にこう書いてある」とありますが、ここはイザヤ書からではなく、マラキ書3:1と出エジプト記23:20から、3節はイザヤ書からの引用です。
どちらも、当時の人々への預言ですが、この預言は、この時からはるか先に起こる救い主の登場に際しての預言でもある。救い主の登場の前に、その道を備える者として使わされるものがいる。それが洗礼者ヨハネだ、とマルコは主張しています。

ヨハネは、見るからに預言者スタイルでした。荒野で生活し、ラクダの毛で作った服を着て、イナゴと野蜜を食べて生活していました。まさに預言者独特のスタイルです。
1:4「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」ヨハネが宣べ伝えたのは「罪の赦しを得させるための悔い改め」です。
当時の人々は、救い主が来れば、ユダヤ人である自分たちは皆、自動的に栄光にあずかれると信じていました。しかしヨハネは彼らの期待を打ち砕きます。まず、罪を離れて神に立ち返るように、悔い改めて洗礼を受けるようにと説いたのです。
彼が人々に求めたのは、「罪の赦しを得させるための悔い改め」です。そして、悔い改めた人々はヨルダン川で、ヨハネから水の洗礼を受けました。
ヨハネの洗礼は、『罪の悔い改めの洗礼』です。「悔い改め」とは、自分中心の生き方から方向転換して「神のもとへ立ち返る」ということです。
旧約聖書申命記30:2-3に「あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、 あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。」とあります。ここで神がまず命じておられることは、主のもとへ立ち返ることです。これが聖書で言われる悔い改めの中心的な意味です。そしてそれに続くのが、悔い改めの実としての善き業です。
すると、ユダヤだけでなく、エルサレム中から、おびただしい数の人々が彼のもとに集まって来て、罪を告白し、ヨハネから洗礼を受けました。これは、ユダヤの歴史の中でも一大現象と言えるほどの出来事でした。

しかし重要なのは、ヨハネではなく、彼の後から来られる方です。
ですからヨハネは語ります。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」(1:7)
人々は洗礼者ヨハネを、偉大な預言者と考え、大勢が彼の下へ押し寄せました。しかし彼は言います。
後から来られる方は、身分も力も自分とは比較にならない。そして、何より大きな違いは、自分の洗礼とその方の洗礼だと。
「 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(1:8)
ヨハネの洗礼は、罪の悔い改めの洗礼。しかし「その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
旧約聖書では『聖霊が注がれる』とは、救い主到来の印です。
ですから「聖霊で洗礼を授ける」と言えば、もう、救い主、メシア・キリストしかいません。
ヨハネは、神の霊である聖霊に豊かに満たされた方、メシア、救い主がおいでになる。
その方こそ、救い主メシアである。
あなた方は、まことの神に立ち帰って、その方の出現をお待ちするように、と告げ知らせたのです。

これは、救い主の出現を待ち焦がれていたイスラエルの人々へのメッセージです。この言葉に、人々は心躍らされたことでしょう。

しかし、わたしたちにとってはどうでしょうか? 
今の時代、救い主は既に来られたのです。そして、救い主は、地上生涯と十字架の苦しみ、死と復活によって、救いの御業を成し遂げておられます。そういう意味では、今は救いが完成しているのす。
では、わたしたちに求められていることは何でしょうか?

まず、ヨハネのメッセージのように、罪を告白し悔い改めること。まず神の方に向き直ることです。そして、洗礼を受けることです。
ただし、私たちが受ける洗礼は、ヨハネの洗礼ではありません。イエス・キリストの名による洗礼です。
使徒言行録の2章38節にこう記されています。「すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」
これは、ペンテコステ後のペトロの説教の中の言葉ですが。
イエス・キリストによって、救いが完成した今、わたしたちが受ける洗礼は、イエス・キリストの十字架による罪の赦しを信じて、イエス・キリストに結ばれる洗礼です。
ここで「イエス・キリストの名」とは、名前のことではなく、イエス・キリストご自身、あるいはイエス・キリストの御業そのもののこと。
イエス・キリストによってすでに完成した救いに与るために、私たちがすべきは、イエスキリストの名による洗礼を受けることです。

神の子イエス・キリストの福音には、力があり、まことの命があります。
イエス・キリストの名を通らなければ、誰一人救いに入ることはできません。
イエス様ご自身も言っておられます。
「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マルコ13:31) 

私たちは聖書を通して「イエスの言葉」「福音」を聞くことができ、聖書を通してイエス・キリストと出会い、信じ、イエス・キリストの名による洗礼を受けて、永遠の救いへと招き入れられるのです

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