2024年02月25日「キリストの政権」

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キリストの政権

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詩編 72章1節~17節

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神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。

王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。
王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。
生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように。

王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように。
砂漠に住む者が彼の前に身を屈め/敵が塵をなめますように。
タルシシュや島々の王が献げ物を/シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。
すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。

王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を/助けるものもない貧しい人を救いますように。
弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い
不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。
王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り/絶え間なく彼を祝福しますように。
この地には、一面に麦が育ち/山々の頂にまで波打ち/その実りはレバノンのように豊かで/町には人が地の青草ほどにも茂りますように。
王の名がとこしえに続き/太陽のある限り、その名が栄えますように。国々の民は皆、彼によって祝福を受け/彼を幸いな人と呼びますように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
詩編 72章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

中心的主張点: キリストの王国が現れるところに正義があり、憐みがあり、平和が実現する。私たちはこれを待ち望んでいます。また、平和の福音に生き、平和を実現することによってこれを来たらせることができます。

序説:米国の大統領選挙の予選、日本の政治界の汚染、パレスチナの問題、信教の自由、天皇制、などなど、たくさんの話題があり、どう考えるべきかわかりません。アメリカの政治界におけることについて、たくさんの不満と批判を抱いています。特に、キリスト教信仰ととても変な愛国心が交えていることが気になります。「クリスチャンだから、この方針やこの人を支持すべきだ」と、講壇から述べる牧師が少なくありません。イスラエルがどんなひどい行動や対策を取ってもこれを応援するべきことなど、結局、不正をサポートする結果となっています。「違うのでは」という声を塞ぎます。日本はといえば、日々の報道にある通り、お金を不正に貯めて、パワーを握ることを第一とする世界です。これから脱出して別の方向に向けることができないでしょうか。

1、エデンの園の秩序に変えて、争いと腐敗の世界になってしまいました。世界あるいは社会はもともとこんなのではなかったことが創世記に見られます。甚だよくできた世界でした。正に神の国でした。天と地の間、人間と自然界の間に秩序があって、平和があって、幸福がいたるところに見られていました。人と創造主の友情が生き生きと現れる世界でした。けれども、これが長く続くわけではありません。人間が罪を犯して堕落する事件がすぐにも起こってしまいます。背きの罪に伴い、敵意が生じ、殺意が現れ、力争いの世界に発展していきます。兄だったカインが弟アベルに対する妬みに支配されて、撃ち殺す事件が創世記4章にあります。そしてその次の世代の者は厚かましく人殺しをするようになり、何とも思わないような態度があります(創世記4章23-24節)。人間の世界がどうなっていくかについて、創世記6章が次のように語ります。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(6章5-6節)。そこで主は大洪水を起こし、ノアとその家族から世界に再スタートさせますが、やはり罪と腐敗とあらゆる悪がまたすぐにも現れます。
 けれども主は今度、アブラムをウルから呼び出して、ご自分の民とします。それは神の掟を守り、とうとう世界に救い主をお送りくださる御心が実現されるためです。創世記12章1-4節にある通りです。ここからは新しい歩みが始まります。

2、聖書にある歴史によって制度が変わっていくことを確認しましょう。アブラム(後にアブラハムと呼ばれます)、イサク、ヤコブたちのことを「族長」と呼んでいます。ヤコブの12の息子たちはそれぞれ、子孫を残し、これらがいわゆる「12部族」と呼びます。基本的に一つの国民ではなく、大きな家庭ですが、周りの国民とは区別されています。家庭の中に周りの社会とあまり変わらない良いこともあれば、不正なこともあります。大飢饉によってエジプトに移動して、そこで民族として奴隷とされますが、神様はモーセを 彼らを率いるリーダーとして召してくださいます。神様から掟をいただき、一つの国民として発展させてくださいます。とうとういわゆる約束の地に導き入れてくださいますが、主の掟の中に後の時代に建てられる王についての規定もあります。士師たちからサウル王へ、制度が時代に従って変わります。
ここでとても大切なのは出エジプト記18章と申命記17章です。前者は民の上に建てられる人の資格と社会的常識を語ります。どんな者を民のリーダーにするかというと、モーセに次の助言が与えられます。「民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。」(出18章21-22節)。このようにできる国民は幸いですが、私たちの国の指導者はどうなのでしょうか。申命記の箇所は、後の時代に王国となることを前提にして、王の掟となっています。「あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入って、それを得て、そこに住むようになり、『周囲のすべての国々と同様、わたしを治める王を立てよう』と言うならば、必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。『あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない』と主は言われた。王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる」(申命記17章14–20節)。
 モーセに続いて、ヨシュア、また、士師記が語る通り、神様が場合によってお立てくださる裁きつかさが任命されます。でもとうとう、サウル王が立てられ、ダビデ王とその子孫へ進んでいきます。つまり、王国制度になるわけです。そこで問題は、王様がちゃんと主の掟に従うかどうかです。サウル王はそうではないので、神様はダビデをお立てくださいます。その次第はサムエル記に記録されていますね。

3、けれどもその中で最も貴重なことは、ダビデの子孫から王の王、主キリストが現れるとの神様のお約束です。
 さて、詩篇72篇はどなたを指しているのか、ダビデ王自身か、ダビデの子ソロモン王か、のちの時代のメシヤ=キリストか?ここにこの詩篇の読み方、解釈の仕方が複数ありえます。冒頭に1節に「ソロモンの詩」とあります。ソロモン王について、つまり、ソロモンの即位のために書かれた文書という意味がありえます。それとも、ソロモン王が記した別の王、つまりメシヤ=キリストについての預言的な歌なのでしょうか。あるいは、読み方に幾つかの階層があり、両方なのかもしれません。詩篇についてですが、それぞれの冒頭にある文言が後の時代に追加されたものが多いので、聖書としてこれらの言葉を受け入れる必要がない場合が多いです。ですから、「ソロモンの詩」の言葉を無くした方が良いかもしれません。もし、この詩がソロモンの即位のために、例えば、お父さんのダビデ王があらかじめ書いてくださったのなら、適切な表現になっていると言ってもいいでしょう。息子の政権について、これだけ期待している、これだけ願っているという中身となります。これなら、納得ができます。新共同訳聖書の詩篇翻訳に幾つかの問題点があることを指摘しておきますが、ほとんどの節の終わりに、「何々ますように」とありますね。でも原文では、この祈願形式になっているとは限りません。多くの場合はむしろう「こうなるのだ」と宣言形式になっているところが多いです。従って、後の時代に現れるもっと優れた王様のことを詩っているかもしれないと言えるわけです。その「ように」という表現を取ってみて、宣言あるいは預言形式に変えて、読み直すと大分印象が変わってきます。例えば、12–14節を例にして見てみましょう。「王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を/助けるものもない貧しい人を救います。弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い/不法に虐げる者から彼らの命を贖います。王の目に彼らの血が貴いものとされます。」お分かりでしょうか。この現象を理解して、5節を読み替えるとどうなるでしょうか。「王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえます」となります。なるほど、これはダビデ王、ソロモン王、どのような王についてもたたえることができません。永久の王座に着座してくださるキリストについてのみ言えるわけです。
 実は、サムエル記の下7章にダビデに与えられた主からの約束が記されています。預言者ナタンを通して与えられるのですが、その中身は:ダビデの子孫が王として建てられ、永久に王座に着座するというのです。聖書の歴史の流れから言いますと、イズラエルの王=ダビデの子=アブラハムの子孫です。アブラハムに与えられた約束も実現します。(創世記12章1-3節)「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。』」と。
 結局ソロモン王も失敗します。申命記にある王が守るべき掟に従いません。全てを破るのです。ですから、この詩篇72編の文言の幾つかをソロモンに当てることができると言っても、彼も罪に汚れた失敗者となってしまいます。

4、そうすると、詩篇の祈り、あるいは宣言は別の方、「平和の君」と呼ばれるキリストの支配について語っていると自信を持って言えるのではないでしょうか。つまり、72編の表現がキリストの政権を語っています。この地上のどの時代、どの国の支配者とも徹底的に違うのです。その支配下にいる民はなんと恵まれたものでしょう。本当に美しい豊かの様子です。作物の刈り込み、収穫の匂いすら湧いてきます。貧しい人がいても、この支配者が彼らを救うのです。そしてその支配は地の果てにまで及ぶと指摘します。無論、これは永久の支配です。永遠の幸福がここで現れるのです。不正だらけのこの世の国々では味わうことができない安全、安心、裕福さがここにあるのです。ここにだけです。
 もちろん、これについて語るのは詩篇だけではありません。預言者たちも、特にイザヤは私たちの心待ちの王を語ります。正義をもたらし、安全を保障して、しかも、へりくだって民に優しく関わってくださる王を語っています。王として来られるいわゆるダビデの子キリストは、支配するだけではありません。民の縄目を破り、罪の責任を担い、滅びから救い出してくださるお方です。モーセとダビデよりもはるかに立派で、期待されるお方です。世の支配者が彼を見上げて学ぶべきです。そうすれば、世界がいよいよ平和になるでしょう。割と裕福となっている米国や日本にしても、最初に話したように、腐敗と汚染だらけですが、このキリストの政権を見ると、そのダメなところがなお目立つのではないでしょうか。
 聖書の最後の黙示録まで行くと、キリストの究極的支配が語られています。詩篇72編が語る彼の支配が完全に現れます。そこに敵意がなく、争いもありません。嘆き悲しむことがなく、苦しみもなく、涙もありません。救い主キリストが玉座に座っておられるからです。この方は私とあなた方の祈りをちゃんと聞いてくださるお方です。私たち小さき者を抱き上げて、膝に座らせてくださるお方です。これを想像するだけで、今の世の支配者、為政者がどれだけ恥ずかしくなることでしょう!
 でも、今は厳しい現実があります。そこで、私たち主の民はキリストが再び来られる時まで、平和の福音を述べ、同時に、置かれている社会に主の恵みをより豊かに味わわせます。場合によって為政者のために祈ると同時に、主の掟を伝え、これを守るべき御心であることを伝えます。委ねられている権能を正しく行使して、特に弱いものを守るように大胆に要請します。そして私たちも、御心が何であるかを知っているのなら、これに従って生きるのです。主の恵みの器です。地の果てにまで王として現れるイエス様を 恥じることなくお迎えできますようにその政権をお伝えします。

決論:私たちの努力によってだけでは神の国が実現しませんが、今すでにキリストによる平和を味わい、これを告げ広めましょう。一つの具体的な適応を提案します。キリストによる祝福がより豊かに現れるために、定期大会で採決した「平和宣言」をよく学び、これに従って励みましょう。憲法第一分科会より、「平和をつくるプロジェクト」の実施のお願いの文書が届いています。2026年の9月の定期会まで幾つかの具体案があります。これらをできる限り実施してみましょう。私たち個々の信仰が深まり、教会が成長して、周りの社会にも益となるでしょう。そして主の約束が満たされ、イエス様が新しい世を確立させてくださいます。マラナタ!どうか主よ、来てください。しもべたちは待っております!アーメン。

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