2024年01月14日「ローマを目指して」

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ローマを目指して

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 25章1節~12節

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フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。
フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」
そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 25章1節~12節

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<説教要約> 
使徒言行録に戻って、25章~28章までを見ていきたいと思います。
25~26章は、逮捕されたパウロが、新たに着任した総督フェストゥスの前で弁明し、さらにフェストゥスとアグリッパ王の前に引き出され弁明するという箇所です。

パウロは今カイサリアで監禁されています。監禁とはいっても、ある程度の自由が保障され、パウロの友人たちが彼の世話をすることも許されていました。彼を訪ねてくる人には会うことができ、話をすることもできました。つまり、イエス・キリストの十字架と復活、福音を語ることができたのです。ですがそうはいっても、その状況が2年以上続いたのです。ところが、一つの転機が訪れました。それは、ローマ総督の交代です。フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスという人が赴任したのです。
フェストゥスは着任するとすぐエルサレムを訪問しました。彼は、自分が統治することになるエルサレムの様子を探り、またエルサレムの祭司長やユダヤ教指導者などの有力者を訪問しました。
すると、祭司やユダヤ教指導者たちは、ここぞとばかりに、頼みごとをしました。
使23:2-3祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。

実は、フェストゥスは前任者のフェリクスから、カイサリアで監禁されたままのパウロのことを、きちんと引き継いでいませんでした。一方で、ユダヤ人たちは、事情の分からないフェストゥスを誘導して、パウロを殺そうとしたのです。パウロをもう一度、エルサレムに戻して、最高法院での裁判をやり直すという口実で、旅の途中パウロを殺そうとたくらんだのです。最初の事件から2年以上たっているのに、祭司やユダヤ教側の人々はまだパウロの命を狙っていました。彼らは、それほどまでに、パウロが宣べ伝えている福音の力、キリスト教の勢いを恐れていたということでしょう。
しかし、フェストゥスはユダヤ人たちの言いなりにはなりませんでした。パウロを告発したければ、あななたたちがカイサリアに来るように、と命じました。フェストゥスも彼らに威厳を見せたかったのですね。

フェストゥスは、エルサレムからカイサリアに戻るとすぐに法廷を開き、ユダヤ人たちもエルサレムから下ってきて、パウロを告発しました。ここには、告発の内容は記されていません。が実際のところ事件から2年以上たっていて、新しい証人も、証拠も出すことができず、この場でパウロを有罪にすることはできませんでした。
しかしここにきてフェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに提案したのです。
それが25章9節。 しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」
パウロは、この提案をきっぱり拒否し、皇帝に上訴と明言したのです。
重要なことは、パウロが「ローマ皇帝に上訴する」と意思表示をしたことです。また注意すべきもう一つのことは、この裁判で、フェストゥスは何ら判決を出していないことです。

後日フェストゥスは、ユダヤからやってきたアグリッパ王にこの時の心証を語っています。25章の18-21節に記されていますが、簡単にまとめますと、「予想していたような罪状は何一つ指摘できなかった。」「彼らが争っている問題は、ユダヤ教に関すること」「パウロは皇帝に上訴すると願い出たこと。」、この三つです。そして、結論は「この者自身が皇帝陛下に上訴したので、護送することに決定しました。」です。
2年以上の年月をかけて決まったことは「パウロはローマ皇帝の裁判に出廷すること、彼のローマ行き」が決まったのです。

しかし、この後すぐにローマへ護送されたわけではありませんでした。
25章13節から26章には、当時ユダヤを実質的に治めていたアグリッパ王と妻のベルニケがフェストゥスを訪問し、その折に再びパウロが引き出されて、弁明する、という記事が記されています。次週見たいと思います。

今日の所から2つのことをまとめておきます。
使徒23:11 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
これは、パウロがエルサレムで逮捕され、最高法院に立たされ、混乱の中で殺されかけた、あの最初の夜に与えられた神の言葉です。
その時パウロは、ローマの千人隊長に助けられ、兵営に保護されて命を救われたのですが、その夜聞いた主の言葉が、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」でした。
しかし、ここまでの状況を見ると、パウロの運命を握っていると思われる人物たちは、おのれの欲や、メンツ、立場や権威を守ろうとする思いがあり、またユダヤ教指導者たちのキリスト教への妬み、そしりなどいろんな思惑で動いていて、そういう中でパウロの命は風前のともしびのように見えます。しかしそういう中で、結局神の言葉の通りに事が運んでいったのです。こうして、パウロのローマ行は決定しました。
「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」と言われた主が、背後ですべてを支配しておられ、パウロのローマ行が決まったのです。
箴言の言葉を引用しておきます。
箴言19:21 「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」
神は、人に働きを与えます。しかし与えるだけではありません。背後に神のご計画、計らいがあるのです。そして、その働きを全うできるように、様々な助けがあります。そしてこれは、パウロだけが特別、ということではありません。
私たちの人生にも、同じように神のご計画、計らいがあり、助けがある。今日の所から、このことを覚えたいと思います。

もう一つのことは、この一連の事件の中でいったいどれほどの人が、パウロの弁明を聞き、キリストの福音に接したのか、ということです。イエスの十字架と復活、昇天は、ユダヤで起こった出来事です。ですからユダヤの王アグリッパや、ユダヤに住んでいた人々にとっては周知の事実と言えます。しかし、ローマ総督や千人隊長、ローマ兵やその関係者の間では、そうではありません。しかし、カイサリアでのパウロの監禁や、その後の弁明の機会を通して、そういう人々がキリストの福音を聞き、又パウロの証しを聞く機会になりました。こんなに大勢の人に、一度に福音を語る機会は滅多にありませんよね。
神は、パウロの逮捕、長期の監禁という、マイナスと思えるような出来事もお用いになって、多くの人が福音を聞く機会となさったのです。ここにも神の深いご計画があることを覚えたいと思います。
マイナスの出来事を用いて益となさる神の業があることも覚えましょう。

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